ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『“東洋の神秘” ザ・グレート・カブキ自伝』

『“東洋の神秘” ザ・グレート・カブキ自伝』(2014)ザ・グレート・カブキ

“東洋の神秘"ザ・グレート・カブキ自伝 (G SPIRITS BOOK)

“東洋の神秘"ザ・グレート・カブキ自伝 (G SPIRITS BOOK)

 

カブキ先輩に期待したいのは、なんといってもSWS時代の裏事情ですね。当時の関係者にとっては、思い出したくない出来事として封印されているのかもしれませんが、世間のニーズに対して情報量が少なすぎます。

あれは一体なんだったのか?

未だわだかまりを持つ昭和プロレスファンは多いはず。その点、力道山時代の日本プロレスから、全日新日インディと日本のプロレス史を網羅したカブキ先輩の証言は多面的で貴重です。

SWSに話を戻すと、大相撲を模してスタートから導入された「部屋別制度」。どう考えてもここに無理がある。

天龍源一郎の「レボリューション」

将軍KYワカマツ率いる「道場・檄」

ジョージ高野の「パライストラ」

全日、新日、フリーランス系と各団体から選手を引き抜いて立ち上げた寄せ集め団体の上に、この面子でまとまる訳がない。

レスラーの基本的なスタンスは「俺が俺が」「俺だけ良ければいい」。その上に社会常識というものが全く欠落していますから、利害が絡むと突拍子もない行動に出て平然としている。まあ、そこが愛すべきところではありますが。

カブキや藤原喜明のように、団体内での自分のポジションをわきまえて立ち回れるレスラーというのは、実はごくごく少数派でしかなく。

旗揚げ戦はタッグトーナメントで、決勝戦は天龍&カブキVS高野兄弟の顔合わせとなり、結果はジョージがジャーマン・スープレックスで源ちゃんをフォールして優勝した。俺は後々のことを考えると、これがマズかったと思う。要は、この試合でジョージを調子に乗らせてしまったのだ。本来なら源ちゃんがきっちりと勝って、団体の内外にエースとしての貫禄を見せつけるべきだったと今更ながら俺は思う。派閥抗争の芽は、早くもこの時期から見え始めていた。

要は天龍源一郎を絶対的なエースとして置かずに、「協調路線」を選んでスタートしたと。SWSの各部屋のエース同士の対決ではどちらが勝つか分からないよ、という方向性を観客に示した訳ですね。

想像ですが、既存の団体から選手を誘う時に、相当調子のいい事を口約束で吹き込んでいて、レスラー間の序列が明確に出来ないままにスタートしてしまったと。これが後々まで禍根を残す結果になったと思われます。

誰が考えても天龍を柱に据えた方が興行的にアピールしやすいに決まっている。ところがそうは回せなかったところに SWSの不幸があったようです。

選手たちはカードに対する不満をマッチメーカーの俺ではなく、田中社長に言いに行く。その文句が田中社長から俺に降りてくるというシステムだ。俺も大変だったが、社長も難儀しただろう。

本来ならば、トップに源ちゃんがいて、その下くらいにジョージや谷津がいるという構図が一番ハマっていたと思う。ところが、ワカマツや荒川が後ろからジョージや谷津に「おまえらはトップを取らなきゃいけない」らと焚き付ける。しかし、いざトップでやらせようとするとビビってしまうのだからどうにもならない。

ちなみにカブキ先輩の荒川評は最悪です。ワカマツの田中社長へのゴマすりよりも、荒川の裏での立ち回りのほうが悪質だった、あの天龍ですら荒川にはボヤいていた、とボロカス。

その後 SWSは一億円を投じてのWWF提携、東京ドーム公演、アポロ菅原vs.鈴木みのる事件(カブキ先輩の証言では、巷間に伝わる「鈴木みのるがアポロにシュートを仕掛けた」が真実ではないと。是非本書でご確認ください)、北尾光司vs.ジョンテンタ「八百長野郎」事件(ここでも荒川がいらん暗躍をしたそう。忙しいな荒川)などを経て、本格的な内部崩壊に向かいます。

SWSの一部の選手は観客がエキサイトするような試合をしていなかったし、とにかく自分たちが美味い汁をすすることしか考えていなかった。そんなことを見抜けない田中社長ではない。

カブキ先輩によると田中社長はメガネスーパーの創業社長だけに元々クレバーな人で、レスラー間の内紛がジェラシーに基づくものだと、この頃には見抜いていたと。でも厳しくは対処できない。タニマチだもん。

1991年7月に田中さんは社長職を降りて SWSのオーナーとなり、源ちゃんが新社長に就任したが、これに反発して檄やパライストラの連中は完全に北を向いてしまった。

「北を向く」というのは「そっぽを向く」「反発する」という意味の隠語です。この時期に天龍は盟友・阿修羅原をSWSで現役復帰させますが、それすらパライストラや檄のメンバーは反対したと。「自分たちの取り分が少なくなる」「龍原砲ばかりが目立つようになる」。団体の事、興行の事を何にも考えない奴ばかりだと、カブキ先輩はここでも怒り心頭に。

この時点ではまだ最終的な決定権はオーナーの田中社長にあったので、天龍を跳び越してご注進に伺う者が後を絶たなかったとか。1990年10月の旗揚げから1年半、田中社長が再度動きます。

4月になると SWSの契約更改が行われた。この時、オーナーの田中さんの厳命で源ちゃんに契約内容の権限が委ねられた。金額を全て社長の源ちゃんが決め、田中さんには「言うことを聞かない人間がいたら首を切っても構わない」と告げられたと言う。(中略)結局、この時点では全員が契約を更改した(後略)

田中社長がようやく、天龍を実質的なトップにした新体制に舵を切ったというところ。

天龍への権限集約を明確にする為、カブキ先輩は自らマッチメーカーを降り(石川敬士鶴見五郎の合議に移行。この二人の組むカードはすごく駄目そう)、レボリューションを抜け、団体内フリーとして外人メンバーと行動を共にするように。そこまでしても崩壊への流れは変わりません。

92年5月、谷津嘉章が天龍体制への反発から選手会長の辞任と、SWS退団を発表します。

実はこの会見の前に、谷津一派は田中さんの自宅に押しかけている。彼らは「天龍とはもうやっていけないから、独立したい。そのために金を出してくれ」と要求したという。田中さんは「もう一度天龍さんと話をしてくれ」と言い渡したそうだが、両者の間で結論がまとまらないうちに谷津が独断で会見を行ったのだ。

谷津もなんちゅう言い草かと思いますが。SWSを一緒になって盛り上げていこうという気持ちがカケラも見られないレスラー達に、さすがに愛想を尽かしたのか、田中社長は遂に各部屋を独立させることを決断。それでも新会社が軌道に乗るまでの資金援助を約束してくれたそうですから、田中社長の面倒見の良さ、度量の大きさにはつくづく感服します。ターザンに散々攻撃されていたけれど、もっと再評価されていいはず田中社長。

その後に生まれた天龍のWARには深く関わることなく、カブキ先輩はメジャーとインディを渡り歩き、ちゃんこと焼き鳥のお店のオープンまで至ります。

折しも谷津嘉章回顧録が11月(2019年)に上梓され、 SWS時代にも再び注目が集まりそうな気配も。カブキ先輩には、忘れられがちな昭和プロレス史の貴重な証言者として、是非ともお元気で発信を続けて欲しいと願っております。

 で、結局なんだったのかSWS。

以上  ふにやんま 。

『毒虎シュート夜話』ザ・グレート・カブキ×タイガー戸口②

『毒虎シュート夜話』ザ・グレート・カブキ×タイガー戸口(2019)

毒虎シュート夜話 昭和プロレス暗黒対談

毒虎シュート夜話 昭和プロレス暗黒対談

 

その②です。

昭和プロレスファンとしては当時の秘話、「今だから言える!」系の話はこたえられません。本書も

◉2代目力道山は決まっていた!

ステロイドはやってたよ途中でやめたけど(戸口)

といったおいしい案件を次々とぶち込んできます。ハアハア。興奮覚めやらず。

サムソン轡田ジャンボ鶴田を巻き込んだ謀反事件

については、最近になって広く(昭和プロレスファンの間だけですが)知られるようになりました。サムソンのWikipediaにも載っていますしね。

ところがてすよ!この話にはなんと衝撃の後日談が。これは知ってる人は少ないはず。自慢できそう。

カブキ  それがきっかけでJ&Bって言う会社が作られ、素子さんが社長で、ジャンボも、そこに押し込まれたわけ。

戸口  そこの重役になったんだ。

カブキ  それで馬場さんに頭も上がらないし、がっちりと固められて。あのあと、選手との交際を一切持てなくされた。

戸口  それビックリしたんですよ。全日本に上がるようになって、地方行くと、馬場さんが出かける時、「おい鶴田!」って、どこにでも必ず連れて行くから。

カブキ  試合のあと、ジャンボを絶対に他の選手と一緒にさせなかったの。密談されて、別の派閥を作られると困るから。

カブキ  ホテルの中で馬場さんと元子さんが夕食を食べる時は、外にも出してもらえなかったの。ジャンボは付き人の菊池とホテルの部屋で二人っきりで、菊池に2000円渡して「弁当買って来い」って。それで夕飯済ませていた。

ジャンボ鶴田がお酒が飲めなかったというのは広く知られた話で、それはプロレスラーにとっては大きなハンデだろう、天龍みたいに大勢で大酒飲むのが大好きならば、自然と「天龍派閥」みたいな形がレスラー間で生まれるのにな、とは思っておりました。おりましたが、ジャンボが他のレスラーとの交際が禁じられていたと言うのは初耳でした。

もちろんジャンボの性格的な面はあるでしょうが、生涯「鶴田派」的なグループを作る事がなかったのは、ここに大きな原因があったということですね。

サムソン轡田の謀反がなければ、ジャンボの人生は変わっていたかもしれない。「日本人レスラー最強説」に包まれたジャンボのレスラーとしての経歴と、それに釣り合わない非業の最期を思うと切ないものがあります。

しかしながら、カブキ・戸口コンビのジャンボ評はなかなか厳しい。

カブキ  プロレスも人間性が出るよね。だから、鶴田、あいつはプロレスをナメていた。

カブキ  練習はしないし、何より態度がナメていた。いつも「こんなもんでいいだろう」って感じで。第二の人生のためにお金を貯めておこうみたいな。

戸口  鶴田は、お金遣わない。ラーメンばかり食べて。札幌に行くと、すぐ味噌ラーメン食べに行って。それで重いバーベルとか上げないから、カラダがベタッとしていて見栄えが悪くて。馬場さんも稽古しろと言わないから。

カブキ  言わないよ。自分がしないから。

鶴田、散々な言われよう。お酒が飲めないということは、宴席も楽しくはなかったはず。ラーメンくらい食べさせてあげて。お願いだから。

結局「漢気」というか「親分肌」というか、アクの強いレスラー達の間では評価されにくいタイプだったんでしょうね。

もしかしたら「こんなもんでいいだろう」というのも本人にしたら迷惑な話だったかも知れず。ある意味、「こんなもん」でやれてしまう鶴田の能力の高さの裏返しといいますか。

同業のレスラーから見ても、鶴田にはある種のもどかしさというか、「こいつはもっとやれるはず」「もったいない」という気持ちがつきまとう存在だったのかなと思いますね。読みようによっては、「ジャンボ最強説」の貴重な傍証とも言える。練習嫌いであのパワーとスタミナですからね。鶴田恐るべし。

最後に全日のレスラーから見た新日本スタイルについて。まあお互い様なのでしょうが、辛口です。

戸口  新日本は猪木さんの悪いとこばっかりとっているからね。要するに攻防がないんだよ。どっちかが一方的に、バカーン、バカーンって行って、行ったほうが最後、やられちゃう?それで勝ったほうが「それが強さだ」っていうのが新日のやり方だから。一方通行みたいなやつ。

カブキ  相手いて、戦うんだから、そこに攻防が生まれないと、お客さんエキサイトしないよね。

戸口  馬場さんが初めて長州を見たときに。「忙しいプロレスをしてるな」っていう言い方をしていたらしいけど。「常に、行かなきゃいけない」っていう頭があるから、それしかやってないじゃないの。(中略)

カブキ  前進あるのみだから競馬馬と一緒だよ。

カブキ  新日本は、相手を光らせるという教育がされてなくて。一方的なものが多かったから。攻め、攻め、攻めで。

新日の選手が聞いたらカリカリきそうな物言いですが、まあ当たらずとも遠からず的な指摘ではありますね。健介、中西は硬すぎてダメ(スタイルの話です)、藤原喜明は新日の選手にしては珍しく試合に「俺が、俺が」がない、外道は本当にプロレスがうまいなど、個々の選手評は「なるほど」と頷けるものがあります。

SWS時代の回顧パートでも新日出身の選手(高野兄弟とか荒川とか。確かに駄目そうな面子ですが)にはボロカスですから、相当根が深いものがあるのでしょう。ちなみに、返す刀で全日にも辛口批判はおよびます。

カブキ  俺のいなくなった後の全日本、四天王プロレスとか言われて、頭から落とすようなことやりだして。どうしてあんな風になっちゃったのと思った。

戸口  あれ、ひどいよね。だから「あそこまでやらなきゃお客さん呼ばないのかな」って。でもいつかケガ人が出る。「ケガ人が出ないとわかんないだろうな」って心配だったの。あれ、馬場さんなんか、「僕にはできない」とか褒めていたみたいだけど。

カブキ  そんなこと言ってたの。それで儲けていたのにね。三沢なんか会うたびに、体の様子が悪くなっていた。

戸口  あんなの何年も続けられないよ。経営者も選手のことを考えたら、違う方向を考えないと。

カブキ  そんなの、馬場さん、言わないよ。儲かっているんだから。

王道プロレス」が変な方向に行ってしまって、馬場亡き後に選手達が、その呪縛から逃れられなくなってしまったと嘆いています。

その代表格が、カブキ曰く、天才肌で真面目で人柄も良くて、馬場が本気で養子にしようとしたという三沢選手でしょう。

本書にはありませんが、四天王時代の三沢選手は、試合後の「首抜き」が恒例だったそうですね。試合の激しさと過去のダメージの蓄積で、三沢選手は試合後には首が体に完全に埋まってしまう。そのままだと頭と体の間でいろんなものが詰まる(血流とか神経とか)ので、大柄な整体師さんが三沢選手の首にタオルを巻いて、全力で引っ張る。三沢選手の体を押さえつける役目のレスラーが、引きずられる程だったといいますから、いかに首の埋まり具合が激しいか分かろうというもの。そんな試合を日常的にやっていたら、体がもつはずもなく。

カブキ  ノアがだんだん集客に苦労するようになったのは、試合がああいう風に過激になればなるほど、お客さん引いちゃうから。選手がさらに上のこと、もっと上のことをやろうとすると、お客さん、足が遠のいちゃうの。もっと違うことでカバーしていかないと。見方を変えれば、シュートの団体が潰れていったのと一緒。お客さんのこと、置いてけぼりにしているということではね。

カブキ  じっくり試合が組み立てられる自信がないから、今のレスラーは、お客さんがちょっとでも静かになるのが怖いの。「動け!」と言われるとすぐ泡食っちゃう。

戸口  だから勉強不足。じっくりしたところ見せられない。余裕を持ってやれない。余裕持って、うまく見せられない。そうなると、お客さんが上から目線になり、「動け!」とか言い出す。高千穂さん、コーチやって教えてあげたら?

二人の共通の評価として、武藤はいいと。アメリカンプロレスのいい部分を取り入れて、余裕を持ったプロレスが出来る。楽そうに見えるし、おもしろみがあると。

過激さをアピールしたり、シュートを打ち出したり、ましてや「最強」なんてことを言い出す(猪木格闘王のことですね)のはプロレスが下手な証拠。お客さんをしっかり楽しませて帰らせるプロレスアタマがらあれば、そんな事は不要なんだという二人。

「俺はケニーオメガの試合なんて、カネ出して見ようと思わない」と言い切ってしまう戸口先輩には、様々な批判もあるでしょうが、昭和プロレスファンとしては色々楽しめる一冊でした。

おもしろきかな、昭和プロレス。

以上  ふにやんま。

『毒虎シュート夜話』ザ・グレート・カブキ×タイガー戸口 ①

『毒虎シュート夜話』ザ・グレート・カブキ×タイガー戸口(2019)

毒虎シュート夜話 昭和プロレス暗黒対談

毒虎シュート夜話 昭和プロレス暗黒対談

 

「昭和プロレス暗黒対談」という物々しいサブタイトルがついていますが、プロレス的な誇張やギミックはごくごく薄く、昭和プロレスファンにとっては史実的にも価値のある内容になっています。

カブキさんは昔、全日の解説もしてましたしね。常識もあるし頭もキレるプロレスラー(元プロレスラー、とは言いません。プロレスラーは死ぬまでプロレスラーだというのが私の持論。いや願望かな)だと伺っおります。誰にやねん。

プロレスラーはバカじゃできない、利口じゃできない、中途半端じゃ、なおできないんだよ

自負と自虐の入り混じった名台詞に、のっけからしびれます。昭和プロレスの香りが濃厚に漂う一冊。ありがとう徳間書店

まずは日プロ時代の金満エピソードから。

そう、遠藤幸吉なんかは、会社に「選手を乗せるバスを買う」って言って、ベンツのバスを買ったけど、その代金に、自分のベンツの分も一緒に乗っけてた。

酒と女と会社のお金には目がなかったという文脈で、必ず出てくる遠藤幸吉

なぜバスをベンツにしたかというと、支払いの分母を大きくしないと、自分のベンツを紛れ込ませられないからだった、という話だったはず。なんと愛すべき奴なのか、このパッカンパッカン。

お金の話が出たついでに馬場夫人、業界では「元子さん」と呼ばれる女傑について。全日のハワイ社員旅行にて。

戸口  みんな食べて帰るときに、何やったと思う?あの女。みんなでワイワイやっていたら、何が気に食わなかったのか、途中で「正平」って、どなりながら、出口のほうにアゴ振って。要するに「正平、もう行くぞ」ってこと。そしたら2メートルの体が黙ってついていくの。あれには、がっかりした。

カブキ、戸口の二人も本書で「ケチだ」「カラダがデカいくせに異常に細かい」と散々な事を言っておきながら、結局馬場さんの事が好きなんですね。だから衆目の前で馬場さんに敬意を払わない元子夫人が許せない。

以下、馬場さんが元子夫人の実家から、全日設立時に四千万円引っ張ったのがいかんかった、あれでアタマが上がらんようになったんだ、今で言えば億だろみたいな話とか、遠征の飛行機事故で亡くなったハル薗田のお姉さんを無下に追い返したくせに、追悼興行だけはしっかりやった話とか、元子さん批判は続きます。

戸口  高千穂さんは元子さんに良い思い出はないの?

カブキ  ない。

戸口   即答!でも、みんなないよね。世代が違ってもない。

。。。

次行きましょう。二人の得意分野である、レスラーのアメリカ修行について。

アメリカで半年も持たなかったという猪木評。

ビーフェイスでは食えないよ。ベビーフェイスで食えないなら、ヒールに転向したらどうだって言われても、無理。自分がかっこいい事しか猪木さんは考えないから。

「自己愛」に貫かれた、猪木イズムの核心を突いた評価。

カブキ  日本人レスラーは、アメリカに来て、初めてプロレスが何か考えるよね。(中略)うまくプロレスができて、お客さんが入るようになって、上をとっていけば、どんどんギャラが上がっていくんだから。

戸口  だから、客を呼べるように、考えるようになるんですよね。

カブキ  俺はそれが楽しかったよ。(中略)だから、日本のプロレスの方が異質だったよ。お客さんが入ろうが、入るまいがギャラが一緒って。(中略)現地に慣れようとしないし、勉強もしなかったら、脱落するよ。やっぱり「どうお客さんを楽しませるか」そこに尽きるんだから。

全米で通用するヒールとして名を馳せた二人らしい、実にプロフェッショナルな仕事観です。

日本のお客さんはじーっと見てるけど、向こうは10ドルのチケットを買ったら10ドル分楽しむ。それは、お客さんも真剣っていうこと。それを乗せて沸かしていかないといけないの。怒らせて、ブーイングさせたり、「誰があいつをやっつけるんだろう」っていう期待感を持たせなきゃいけない。

アメリカ云々を越えて、プロレスの本質に迫った至言です。拍手。

二人ともピーク時には週に2万ドルくらい稼いでいたそうです。アメリカで売れたら偉いのか?という話もあるものの、「客を呼べる」レスラーが偉いというのは世界共通。マサ斎藤、キラーカーン、グレートムタ。アメリカでやれる奴は日本でもやれる、というのは間違いないところかと。

カブキ  お客さんから「ブーブー」ってブーイングを浴びながら攻めている時に「どこでこいつを返して、客さんを喜ばせるか」って考える。そのベストのタイミングを見極め、会場を「ワ〜」って盛り上げるんですよ。

戸口  それがヒールの技術。

カブキ  それが、できないと稼げない。

「返す」というのはプロレス用語だと「カムバックさせる」、相手を反撃に転じさせることを言います。ちょっと長くなりますが、話は更にヒールの核心に迫ります。

カブキ  フライングメイヤーやって、そのまま首を絞めているのがいるけど、それだけだとダメわけ。そんな時でも、腕を取るとかして、相手を動かさないと。首を絞めて座っているだけでは何も表現ができない。ギューと絞め上げらたら、相手から表情が出るから。こっちがそれを出させてあげる。だから、ヒールって難しいんですよ。(中略)

ヒールが試合の70%を占めてないとダメです。ベビーフェイスなんて、あとの30%で1十分。

さすがザ・グレート・カブキ。語りますね。聞けますね。

カブキ  お客さんの声を聞きながら、肌で感じながら組み立てていく。レフリーと一緒に。だから、歌舞伎、演劇と一緒ですよ。どこで見得を切るかに頭を使う。「今、こういうことをやったら客は怒るだろうか?」に。それで、怒らなければ別なことやればいいの。

ここで出るか歌舞伎!

このワードに全く反応しない戸口のことは置いておきまして、実に素晴らしいヒール論だと思います。

「ベビーフェイスなんてのは立ってりゃいい」

「試合を組み立てるのはヒールの仕事」

カブキ節全開のこのくだり、読まねば損だと断言しましょう。

「ヒールとベビーフェイスの二元論的なプロレス自体が、昭和プロレスの限界を物語っているのではないか?」本稿、かまわず次回に続きます。何故なら今のプロレスを知らないから笑。

昭和プロレスはいく!

 

以上  ふにやんま

決定版・博多では何故サバを刺身で食べるのか

サバの刺身問題について考察し続けるふにやんまです。嘘つけ。前回アップしたのはこちら。 

funiyanma.hatenablog.com

この問題について進展がありましたのでご報告したいと思います。

キッカケはこちらの本。

「サバが好き!」全日本さば連合会、池田陽子(2018)

鯖 サバが好き! 旨すぎる国民的青魚のすべて

鯖 サバが好き! 旨すぎる国民的青魚のすべて

 

一冊まるごとサバ。

ことごとくサバ。

博多のサバしゃぶ以上にレアな本であります。

本書内のコラム「サバを生で食べる?食べない?」から。 

東京都健康安全研究センターが、サバに寄生しているアニサキス総数のうち筋肉部に移行した割合を調べたところ、東シナ海日本海でとれたサバ(おもにアニサキス・ピグレフィーが寄生)は、0.1%。太平洋側でとれたサバ(おもにアニサキスシンプレックス・センス・ストリクトが寄生)では11.1%と、その差は100倍以上。

おー!欲しかった定量データ。

なお、前掲の過去記事を読んでいただかないと「なんのこっちゃ」だと思いますので簡単におさらい。

生のサバを食べた人を、往々にして食中毒で苦しめるアニサキスは、基本的にサバの内臓に潜んでいます。

となると新鮮なサバをすぐにサバいて、はらわたを丸ごと取り除いてしまえばアニサキスに関しては安全なはずですが、そうならないのはなぜか?  こたえ。

アニサキスには、サバの筋肉の中にどっしり居を構えている奴が少なからずいる。

したがって、

いかに新鮮なサバであれ、その身(筋肉)にアニサキスが潜む危険性はゼロではない。

海原雄山先生が鮭の刺身、それもルイベではない「本生」の刺身を用意した山岡士郎を叱責したように、

「愚か者めが!人間のすることに絶対などない」

ですから、如何に料理人さんが目視で厳しくチェックを入れようが、サバをアニサキス検出器(あるんですよ、青い蛍光灯みたいなのが)にかけようが、リスクを完全にゼロには出来ない。

しかもですよ、アニサキスってあんなにヒョロヒョロしているくせに、サバが死ぬと内臓から筋肉に少なからず移動するらしいんですよ。

「サバのいきぐされ」とか言いますが、まさに時間との戦い。鮮度が落ちればアニサキスのリスクまで高まるという苦境。サバ危うし!

でも博多ではサバを刺身でガンガンに食べとうよ。なんでね?

というのが前回のブログの趣旨でした。簡潔に言うと、答えは

博多のサバに寄生するアニサキスは、太平洋側のサバのそれとは生態が違い、筋肉部分(要は食べるところ。身ですね)へ移動することが殆どないから。

もちろん「パーフェクト・ゼロ」ではないのですが、博多のサバだとアニサキスのリスクが目茶目茶低いという事ですね。

その根拠となるデータをようやく見つけた訳で、喜びも一塩です。干物か。サバだけにか。

東京都安全研究センターのHPへ跳んでみました。ででん。ソースはこちら。リンク添付。

アニサキスのグロい寄生画像あり。閲覧注意。

アニサキス症とサバのアニサキス寄生状況

なんとまあ、2010年2月のレポートでした。今から8年前にはきっちりと答えが出ていた模様です。不勉強が恥ずかしい。

今回は「決定版」と銘打っておりますので、それにふさわしいデータを引用させて頂きます。

出所:東京安全研究センターHP

f:id:funiyanma:20180819142441p:plain

長崎県・福岡県といった、博多のサバのメインとなる水揚げ漁港のサバにおいては、アニサキスの総寄生数に対する筋肉寄生数(カッコ内の数字)の割合が極めて小さい。

長崎県ではアニサキスの総数2,721匹に対して、筋肉寄生数は実に1匹。実に0.037%ですから、相対評価でなくても安全だと言えるレベルでしょう。

ここがミソなんですね。

サバの身(筋肉)内のアニサキスの基礎数の、圧倒的な小ささ。

博多のサバの刺身の安全性、ここに全て明らかになりました!と言いたいところですが、ちょっと気になる点が一つ。

データの数値を見ると、長崎県及び佐賀県の筋肉部陽性尾数がいずれも1なのは、分母である30と13に対してやや大きいと言わざるをえないのでは(汗)

13尾のサバを与えられて「そのうち1尾のサバの身にはアニサキスがいるよん、でもどれかは食べなきゃ許さないよん」と言われたら普通は腰が引ける。13分の1は微妙だけど、やっぱり嫌だ。困った。

(実際は刺身で丸々一尾を食べる訳ではないので、リスクは13分の1よりはるかに小さいのですが。まあ便宜的に)

「13分の1」に対する有効な説明が欲しい。博多のサバはもっと安全が高いはずなので、データと肌感覚があまりに違い過ぎる。

これって気にし過ぎのレベルですかね?

仮説レベルならいくつか思い当たることはありますが。推測でものを言っても仕方ないし。

東京都安全研究センターの皆さん、助けてくださってもいいとよ。

ということで「決定版」は何故かモヤモヤを残したまま終わるのでした。うわっ余計なこと言わんときゃよかった。

以上 ふにやんま

「宝くじで1億円当たった人の末路」鈴木信行

「宝くじで1億円当たった人の末路」鈴木信行(2017)

宝くじで1億円当たった人の末路

宝くじで1億円当たった人の末路

 

タイトルからして、「これは宝くじで1億円当たった人の体験談を集めて、本にしたものに違いない」と思いますよね普通。

全然違います。

殆どの書評が同じことを言っていると思いますが、タイトルは最初の第1章「やらかした人の末路」に収められた三編のうちのひとつにしかかかりません。

本書は7章から成り、全部で23編の「末路」が収められていますので、相当の肩透かし感があります。未読の方はご注意下さい。

後半になると、

「グロい漫画」が好きな人の末路

体が硬い人の末路

リモコン発見器の末路

といった、もはや「末路」って言いたいだけじゃん!という苦しい(苦し過ぎる)テーマがいきなり増えて笑えます。

ただし個々の内容はなかなかキャッチーで、読み応えがあるんですね。インタビュー相手の選定がよい?さすが雑誌人の仕事です。

「宝くじ〜末路」から

瀧   人間の浪費というのは一回始まるとなかなか止まらないものなんですね。普段、2000円の寿司を食べている人が、宝くじが当たって「自分へのご褒美」などといって1万円の寿司を食べたとしましょう。ところが美味しいものを食べた時に出る脳内麻薬は、寿司の金額が5倍になっても、比例して5倍になることはありません。「あれ、おかしいな。じゃあ3万円はどうだろう」と、すぐエスカレートしてしまいます。

1万円のお寿司はきっと美味しくて、それなりの満足は得られるはず。ことの本質は、満足不満足といった文脈ではないと思うんですよね。

タナトス理論じゃないですが、浪費とか放蕩というのは基本的に甘美なもので、中毒性があるはずなんですよ。

3万円のお寿司の次は5万円、その次は板前さんの出張貸切?タガの外れた人間の欲望は、加速度的な拡大の一途を辿るはず。宝くじの賞金が有限である以上、悲惨な「末路」が待ち受けるのは必定かもしれません。

なお、冒頭の瀧というのは、マネー評論家の方のお名前です。以下4つは全て瀧氏の発言。

企業側も「急に資産を築いた人」の財布を開くためのマーケティングは研究し尽くしています。

「成金から毟るのなんてチョロいよなあ」

悔しい。そう言われてみたい気もするところが更に悔しい。

超高級店で買い物をすれば、豪華なパンフレットやインビテーションが届くようになります。行けばVIPルームに通される。この"あなただけ感""エクスクルーシブ感"に堪えられる人は多くないですし、一度味わうとそんな生活を諦めることはより難しくなります。「急な富裕化」というのはそのぐらい危険なこと(以下略)

最近話題の社長さんで、絵がお好きな方いらっしゃるじゃないですか。国際的な美術品のオークションとかって、このエクスクルーシブ感の演出にすごく長けていると思うんですよね。ましてや相場以上の高額で落札したりすると、もう自我拡大欲とか征服欲とかが、パンパンに満たされるのではないかと。門外漢の勝手な想像ですが。

ビジネスの世界では多大な時間と労力を費やさねばならない快感が、オークションなら確実かつ手軽に味わえる。何十億円の出費を重ねてしまうのはそういう事もあるのではないかと。

もちろん絵が大好きなのでしょうけれどもね。

1億円は使い始めると想像以上の速さで減っていってしまう。

晴耕雨読の日々を過ごすのも、起業で第2の人生にトライするのも、それ自体は全く悪いことではない。でもそのためには入念な準備が必要で、宝くじの当選をきっかけに始めることではありません。(中略)でも、人はたとえ少額でも、急に不労所得を得ると冷静ではいられない。身に覚えはありませんか。

あります。アリアリ。

慣れない大金にあたふたするような人間は、宝くじなんか当たらない方が幸せだという事でしょうね。当たっても何十万円くらいが丁度いいのかも。

瀧   宝くじを当てると家族はもちろん、それまで縁遠かった親族までもが直接・間接的に"おすそわけ"を要求してくる。家族の間でも、お金以外の話題が食卓の会話に出なくなる。

確かにそんな家庭は嫌だなあ。親がいつも欲望剥き出しで目をギラギラさせていたら、子供も堪らないでしょうし。

最後に毛色を変えて、「キラキラネームの人の末路」から。

牧野   奇抜な名前を付けようとする親の多くは、ごく普通の人たちです。階層も中流以上で、社会的地位もある大変真面目な人たちがすごく多い。

牧野   私の経験上、彼らには大きな共通項があります。「自分は個性的ではない」「抑圧された環境で没個性的な人生を余儀なくされてきた」という強い無力感、欠乏感を抱えているということです。そうした人たちが親になると、当然子供には「個性的で格好いい人生」「環境に適応するのではなく自分で選んだ人生」を生きてほしいと願います。そんな思いが名付けの段階で暴走してしまう。これが「悪質なキラキラネーム」が生まれる最もありがちな構図です。

世に言う「キラキラネーム」が全て悪いという訳ではないですが、名前というのは子供のアイデンティティの一番根っこのところ。そこで親の代償行為を実践してしまうことの罪深さ。

ちょっとゾーッとしましたね。

本書には色々な末路がありますが、「ワイシャツの下に何を着るか悩む人の末路」がタイトル的には最もツボでした。なんじゃそれ。

以上   ふにやんま

『幻夏』太田愛

『幻夏』太田愛(2013)

幻夏 (単行本)

幻夏 (単行本)

 

太田愛氏の紹介にはウルトラマンティガで脚本家デビュー、『相棒』『TRICK2』などを手がけた後、『犯罪者 クリミナル』で小説家としてデビューとあります。

脚本の世界で功成り名を遂げたかたとはいえ、本書は小説デビューから2作目とは思えない完成度。文句なしの傑作です。綿密に練られたシナリオの精巧さ、パズルを解きほどいていく手際の鮮やかさは、さすが一流の脚本家と言うべきでしょう。

終盤になってから、新たな事実をドカンドカンと読者にぶつけていく手法は、本格好きの方にはお気に召さないかも知れませんが、エンタメ好きの私に言わせればサービス満点。このあたりもヤマ場作りを心得た、人気脚本家らしい味付けなのかも。

舞台は西稲城市(一応架空ですね)。興信所を構える鑓水(やりみず)のもとに女性から奇妙な依頼が入ります。

23年前の9月2日に消えた長男を探して欲しい。

事件当時、小学校六年生だった長男は水沢尚、三年生の弟は拓。尚は夏休みが明けた始業式の朝、「忘れ物をした」と言い残して正門から忽然と消えてしまいます。その日の夕方に、自宅から8キロ離れた川沿いでの目撃情報を残して。

翌日、その川沿いで尚のランドセルが発見されます。捜索が行われるも水難事故の形跡は無し。不思議な事に、尚のランドセルに入っていた時間割は失踪当日の金曜日のものではなく、何故か土曜日のものでした...

なかなか魅力的なスタートでしょう?

尚と拓の父親は殺人犯として服役していた。しかし刑期を全うした直後に冤罪だったことが明らかに。己れの潔白が証明されたその当日に、父親は兄弟が住む街で人知れず事故死。それは尚の失踪の4日前のことだった....

現在進行形で少女失踪事件まで起こります。序盤は積みあげられる情報に茫然とするばかりで、パズルがパズルに見えません。これって本当に一つに繋がるの? 風呂敷をここまで広げておいてから、各々の伏線を破綻なく回収し、シナリオを収束させられるだけでも大した力量です。技巧面だけでも本当に素晴らしい。

冤罪も本書の大きなテーマです。犯人を組織ぐるみで捏造して恥じることなく、発覚すれば徹底的に自己防衛に走るという警察や司法の醜悪さ。無辜の市民の人生が、権力によって不可逆的にズタズタにされることの理不尽さ。フィクションとしての誇張や時代設定の要素はあるとは言え、こうした骨太なテーマを盛り込み、作品全体を通じて活かしきっているのは特筆すべきことでしょう。ネタバレになるのでボカしますが、ある人物のを衝かれるような行動に、動機として深く絡んでいます。そんなバカな!と思わせない説得力をもたらしているキーワードが冤罪です。

本書の魅力として、最後に映像的で鮮やかな夏の表現を挙げたい。作者は2本のストーリーを並行して走らせていますが、うち1本は少年たち3人の夏休みです。Stand  by Meよりも少し下の世代。この3人を囲む夏の風景の描写が、イキイキとしてリアルで実に良いのです。蝉の声や草いきれ、秘密基地の中の湿り気までもが伝わってくるかのよう。台風の夜に3人だけで一夜を明かすシーンなどは、滅多にしないことですが、その哀切さに思わず読み返してしまいました。

「月だ!」

見ると、水面に満月が映っていた。拓は噴水に飛び込み、水を蹴立てて何度も満月を両手に掬った。

尚は突然駆け出すと、運動靴の白い足跡を残して軽々と流線型の車体の屋根に立った。足下の黒いクーペはまるで尚に従う忠実な獣のようだつた。(中略)

尚は全身の力を込めて指笛を吹き続ける。

どこまでも強く長く響きわたる音に、相馬は尚の肺が真っ赤な血を噴いて破れてしまうのではないかと恐ろしくなった。 

どうせなら季節まで合わせてしまいましょう。盛夏の読み物としてはピッタリかと。

~夏の幻だったのか。夏が幻だったのか〜

装丁もとても良い。読前も読後も同じ感想を持ちました。

角川書店 good job.

以上  ふにやんま

ココロも満タンに

注)あらかじめお断りしておきますが、今回はのっけからシモ系の話です。

先日 泌尿器科でレントゲンを撮ったところ、膀胱がすこし分厚くなっていると言われました。最初はハァ?という感じでしたが、要は膀胱の壁が肥大気味というんですか。弾力性を失って、全体が伸び縮みしにくくなっているとのこと。病気ということではなくて。まあ老化の一種と捉えるしかない。

「最近、急に強い尿意を催したりすることはありませんか?」と医師に問われました。まさに図星。そうか、あれにはちゃんと理由があったのか!単に歳のせいじゃなかったんだ!と得心しましたね。最近どころの話じゃないので。もう何年前から自覚していることか。夜中もたまに起きるようになったし。ノコギリヤシ

本来ならば貯水タンク(上品な言い回しに転換。遅いか)は、風船のように伸び縮みするもの。ところがタンクの外壁が硬化しているため、喫水線に達するや否や、尿意(ダイレクトだし)のスイッチがバチンと入ってしまうのだと説明を受けました。

Love Storyよりも突然に、不意に容赦なく訪れる尿意。泌尿器系に限らず、身体のことではもっと大変なかたが沢山おられるのは承知していますが、それでも言わずにはいられません。

歳は取りたくないのう。 

それでですね、喩えが悪くて申し訳ないのですが、歳を取ると膀胱と一緒で、ココロもなかなか弾まなくなりますね。もちろん個人差はあるでしょうが。

ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!!

なんてことが心から言えるのは、やっぱり若さの特権だと思うのです。

昔から、若いうちの苦労と読書は買ってでもせよと言いますが(すいません、今勝手に作りました)、「フィクションに胸を躍らせる」なんていうのは年々ハードルが高くなってきました。いかんいかん。老化し始めておるんかのう、ココロが。

ご高齢の方で、若い頃に好きだった小説を楽しく読み返しています、なんていうのは本当に羨ましい。せめてココロぐらいは弾力性を保っておきたい。

という訳で(どんな訳だ)、わが家にはティーンエイジの子供達がいますので、ベストセラーやドラマの原作なんかも私が割と買ってきます。買ってきて、とりあえずそのへんに置いておく。そうすると、子供達や家内が勝手に拾って読む。撒き餌かっ。私は家族の後で、本のストックが切れた時とかに読む訳です。今ならばこんなのとか。  

陸王

陸王

 

こんなのとか。

アンマーとぼくら

アンマーとぼくら

 

こんなのとか。これ古いな。二巻もあった。

ちょんまげぷりん (小学館文庫)

ちょんまげぷりん (小学館文庫)

 

どれも未読ですが、いずれ読むと思います。

ところがですよ、近頃はその山の中に、これはもしかしたら永遠に読まないのではないか?と思う本が出てくるようになりました。以前はそんなことは全くなかったのに。

興味はあります。無ければ買ってきませんから。一応は読みたい、出来れば読みたい。子供に「なあ、これって結局どんな話なん?」って訊くのも何かに負けたみたいで悔しいし。

でもなあ、ちょっと純愛モノはキツいしなぁ。。。

と心の中で二の足を踏む今日この頃。

熱きココロに。

Forever Young.

ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)

ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)

 
君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

 以上  ふにやんま