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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

「子供の幸せ」と「教育の限界」(下)

読書 人生観

上下に分けた後半。前回の続きです。

まずは『アメリカ下層教育現場』林 壮一 著  2008年 から引用。 

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

 

 ※リノ・・・アメリカ合衆国ネヴァダ州の都市

リノ市内には16の公立高校がある。それに対して、地域が営む6つのチャーター・スクールが存在する。チャーター・スクールにやって来るのは、中学時代の成績が悪過ぎたり、一度は公立校に入学したものの辞めざるを得なくなったという類の学生だ。入学しても、およそ半数が中退してしまうとのことだった。

生徒を何とか登校させるために、学校側は様々な工夫を凝らした。

「FOOD」という科目を設けて、全員でクッキーやケーキを焼いて食べたり、「ACTING」として、演ずることを学ばせてみたり。

私が担当した「JAPANESE CULTURE(日本文化)」のクラスも特別枠の一つだった。

今日、日本のアニメやテレビゲームは、アメリカの若者に絶大な人気を誇っている。関心のある事柄に触れさせることで生徒の学習意欲を高めようと、レインシャドウ・コミュニティ・チャーター・ハイスクールは2005年8月末から、その学期の終わりである2006年1月下旬まで「JAPANESE CULTURE」クラスを設置した。

この子たちの集中力は、もって50分だ。2コマ共、授業をするのは不可能なのだ。ならば1限目に可能な限りの学習をして、2限目は全部公園に連れて行こう。相撲でもサッカーでもやらせて、若いエネルギーを発散させてやろう。

2004年のデータによると、合衆国で里親に育てられている子供の数は50万人に上るそうだ。貧困、ホームレス、無職、ドラッグ乱用、HIV感染などの理由で子供を養えず、第三者の善意に縋るのだ。

生徒たちは、所謂『崩壊家庭』で育っていた。現在、米国の離職率50パーセントを超えている。政府の報告によると全米には1億1,127万8千家族、2億9,081万人が暮らしている(2003年度)。

そのうち既婚者は5,732万人。男手だけで家族を養っている人が465万6千、女手ひとつで切り盛りしている人が1.362万である。

離婚が珍しくないだけでなく、「できちゃった結婚」という概念がないお国柄であるため、シングル・ペアレンツが巷に溢れている。   

生活に追われる シングル・ペアレンツは育児まで手が回らない。このような家庭の子供たちには、ついつい怠け癖が付いてしまう。

私が受け持った顔ぶれも、大部分が小中学校時代に学校をサボりがちになり、チャ-ター・スクールに拾われた生徒だった。高校生になっても、一度身に付いた怠惰な暮らしからは、なかなか脱け出せなかった。

さらに親がキッチン・ドランカーであったり、ドラッグに溺れているという噂も耳にした。

子供たちが常識を身に付けていないのは、仕付けてくれる人を持たずに育ったからだ。事実、1対1で向かい合って時間を掛けて話せば、大抵の場合、普通の会話が成立した。バックグラウンドを知らされると、彼らは無責任な大人による〝被害者〟なのかもしれない、と感じるようになった。

「家庭内のトラブルから生徒を解放してやりたい、せめて学校に居る間くらい、安全で心が落ち着く空間を与えてやりたいと考えている」

チューディー先生はそう繰り返した。 

(コロンバイン高校の銃乱射)事件後『NEWSWEEK』誌がまとめた世論調査によれば、「自分の暮らしている街の高校で、銃による犯罪が起きてもおかしくない」と感じているアメリカ市民は、63パーセントに上るそうだ。

「日本では、高校生が銃を持つということは普通では考えられない。どうだ?キミたちは買えるのか」

「手続きに1週間位掛かるけれど、手に入れることは可能かな」

(中略)

訊いてみると、私のクラスでも19人の生徒のうち2人がショットガンを持っていた。14歳の男子と15歳の女子。護身用にと親が買い与えたという。この2人に共通しているのは、血のつながりの無い両親、つまり里親に育てられているという点だった。

「別に欲しくはなかったけれど与えられたんだ。持ってはいるけれど、使ったことはないよ」

2人は話した。

彼らも当初、授業態度は悪かったが、2カ月が過ぎる頃には素直でいい子になっていた。公園でミットを構えた時には、率先してパンチを振るって来た。そして少しずつではあるが、ノートを取り、手を挙げて発言するようにもなった。むやみに銃を使用することなどないだろう。だが、凶器となり得る物を簡単に手渡してしまう里親に、危険を感じざるを得ない。

アメリカ教職員組合の調査によると、この国では新人教諭のおよそ半数が5年以内に退職しているという。理想と現実の差に苦しみ、または労働条件や給料に満足できず、辞するのだ。

レインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールに入って来るのは、若くして人生に挫折してしまった子供たちが圧倒的だ。彼らを如何に再生させるかが、我々の務めであった筈だ。

が、教師も学校も合衆国社会も、落ちこぼれてしまった子供たちにセカンド・チャンスを与える術を持たない。今後も教育格差は決して埋まらないだろう。

私の生徒たちは全員が、「生きていく為には、どうしても高校の卒業証書が必要だ」と、心の底では理解していた。さらにアメリカ合衆国において、大卒者の生涯平均所得がおよそ250万ドルであるのに対し、高卒者は140万ドルだという知識もあった。けれど、生きるうえでのビジョンを見付けられないのだった。 

「確かにそうだね。でも、一般の公立校に行ったら優等生になれるかどうか分からないよ」

かもしれなかった。けれど、ジョセフなら努力次第でどうにでもなるのではないか。私は何度かジョセフの肩を抱いては、

「進学を目指せよ。アメリカ社会は学歴によって、差がついてしまう。お前なら絶対に大学に行けるから。しっかり学んで、いい仕事に就けよな」

と言い聞かせていた。私は学歴で人を計る人間ではないが、10年に及ぶアメリカ生活で高校卒業のキャリアしかない人間が、時給10ドルや月給1,600ドル等の賃金で喘ぐ様を数多く見た。実際に、学歴がなければチャンスも少ないと言わねばならない。

 

【エピローグ】から

家族の団欒を経験せずに育った子供は、自身が成人しても「家庭」や「親子の絆」の意味を把握しないまま生きるという。親になる責任感、倫理観を身に付けられないのだ。

メンターリングの専門家たちは、幼児期に虐待されて育った人間は、自分の子供にも同じように接すると口を揃える。

正しく輪廻である。アメリカ合衆国において、崩壊家庭や未婚の母、日本で言うところの私生児の数が減らないのは、このような背景に起因する。

私が住み始めた1996年夏、リノの人口は16万6千足らずだった。この11年間で2倍以上に膨れ上がり、現在は約38万となった。

増加した人口の多くは、メキシコからの移民である。クリスチャンの家族を含めた彼らは、人生をやり直そうと国境を越えた。夢と現実の差に打ちのめされたことも多々あっただろう。

だが、それでも合衆国に踏み止まっているのは、祖国よりも喜びのある暮らしを送っているからではないか。少なくとも、私はそうである。

転記しているうちに気づきました。

昨日感じた「あらすじ」への違和感は、アメリカの社会構造に林氏が抱いた絶望感、無力感が伝わってこなかったからです。

 林氏は日本の教員免許を持ちませんが(チャーター・スクールでは問題なし)相撲、昔話(浦島太郎)の解釈、折り紙、アニメ鑑賞、コミックを使ったオリジナルのシナリオ作りといった様々なテーマで、子供たちの日本文化への興味を惹くべく努力します。

更には各自が関心を持てるようにと、自分の干支とその由来を知る、自分の名前をカタカナで書けるようにする等の工夫を積み重ねます。

引用にもあるように、ボクシングのミット打ちまで教えてくれる体当たりの林氏に、子供たちも少しずつ心を開くようになり、「ハヤシセンセー」の存在は欠かせないものになっていきます。

 

でも、ここからが「スクール・ウォーズ」のようにはいかないんですね。

・校長が白人女性に交代してから、林氏自身が陰湿ないじめを受ける

・生徒の一人(トラビス)が、三度目のマリファナ吸引で放校となる

・林氏の意志に反し、新校長から契約更新の意志が無いことを告げられる

・林氏退職後、彼が受け持った生徒の半数が退学(林氏がいればどうなっていたか、というニュアンスでは書かれていません)

 

アメリカ社会の基本原則は

‘WINNER  TAKES  ALL.’  「敗者は死ね」でしょう。

「死ね」とは言わないまでも、たとえ野垂れ死にしようが自己責任、知ったこっちゃないぐらいのトーンはありますよね。

「競争原理社会」「チャンスは平等」とか言いながら、カラードや移民、貧困層にはスポーツ、芸能以外の選択肢となると、実質的には殆ど無い。

こういった社会において、経済的な底辺層に位置する家庭の、まして子供たちの絶望感となると日本の比ではないと思います。

 

子供を持つ親としては、我が子の幸せが生まれながらに遠いこと。

教育に携わるものとしては、大半の子供たちの限界を知りつつも、それでも希望を捨てるなと、自分を叱咤しながら言い続けねばならぬこと。

これは相当に辛いでしょう。

林氏が、元世界ミドル級チャンピオン、マーベラス・マービン・ハグラーの言葉を授業で生徒たちに紹介した心中はよく分かります。

ハグラーも貧しい黒人貧民街の出身で、中学中退で働きながら、ボクシングで成功した男です。

「諦めずに自らの目標に向かって努力していたら、いつか結果が付いてくるもんさ。昔、トレーナーに言われたよ。

『お前がキューキュー軋む音を立てて車を走らせていたら、きっと誰かがオイルを入れに助けに来てくれる。人生とは、そういうもんだ』

って。本当にそうさ。でも、いい事を待つだけで、何もしない者のところに幸せは来ない」

私は、「お前がキューキュー軋む音を立てて車を走らせていたら、きっと誰かがオイルを入れに助けに来てくれる」という個所を、黒板に大きく書いた。

you wheel squeaks long enough, somebody comes along put oil in.

(中略)

三度、黒板の文字を声に出して読ませた。

この時の林氏は、一番に大きな声を張り上げていたのではないかと思うんです。

日本でも渡米してからも、決して高学歴とは言えない(文中より)フリーランスのライターとして、様々な酷い仕打ちを経験してきた林氏。

実社会の残酷さを経験した上で、なお子供たちには自分の幸せの為、この言葉を信じて生きていってもらいたい。

何よりも先に、先生として自分がこの言葉のような生き方を、子供たちに見せねばならない。

そう自分に言い聞かせていたのではないかと。

 

エピローグで、林氏はマリファナで放校処分になったトラビスと、偶然にもリノの「バルーン・フェスタ」で、20カ月ぶりに再会します。

そしてトラビスがレインシャドウ・コミュニティー・チャ-ター・ハイスクールに戻り、高校生活を続けていたことを知ります。

「センセイ、色々と励ましてくれてありがとう。オレに掛けてくれた言葉、忘れていないからさ」

子供たちの幸せを心から願う大人がそばにいれば、少なくとも子供たちは、「セカンド・チャンス」をあきらめない、幸せを目指すことに絶望しない存在でいられる。

そんな事を思った一冊でした。

 

配分が悪く、異常に長い後編にまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

以上 ふにやんま