ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』

たまたま手に取った本を読む、ということは、おぢさんの場合

ほとんどありません。眼がもたないので、自ずと本を精査せざるを

得ないんですね(若いかたは、今に分かりますよー)

今日は本当に、たまたま読んだ本が面白かった話。

 

『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』

日本映画専門チャンネル編 (2010年)

私はくだけた内容の新書ならば、15分を読了の目安にしています。

ザクザクとページを繰りながら、欲しい情報、key sentenceを

逃がさないようになるには、インドの山奥で修行して、

ダイバダッタの魂を宿す必要がありました。

(分からない人は気にしないで下さい)

 

踊る大捜査線」私、詳しくないんです。

スピンオフ以外の映画を、ひととおり観たぐらい。

ただ、警察を定年退職された、本好きのかたなんですが、

そのかた、警察小説や刑事ドラマは一切見ないんですよ。

「あんなのは、全部嘘っぱち。白けるだけですよ」と。

でも、「マシなのは『踊る大捜査線』だけですね。あれは良く調べてます」

と言われていた事は、しっかり覚えています。

 

この本は10名のかたの寄稿で出来ていますが、それを裏付けるのが

第三章 ついに現実の警察まで動かした 飯田 裕久氏

私たちは捜査本部を一歩出たら、扱っている事件の内容や

どんな捜査をしているかを、誰にも漏らしてはいけないこと

になっています。家族にすら一切言うわけにはいきません。

私も当時、仕事の事は妻にも話したことはありませんでした。

(中略)

捜査一課が殺人事件を専門に扱う部署だということも、マスコミ

の報道やテレビや小説などから自然とわかる。しかし組織的な

ことや役職の名称などといったことまで、女房が知るわけが

ありません。

ところがある日家に帰ったら、うちの女房が

「管理官っているの?」と聞いてきた。

まだどこのテレビでも、どの映画でも、管理官という言葉すら

出てこなかった時代ですから、「お前、誰から聞いた?」と

どやしつけてしまいました。

 しかしよくよく聞いてみたら、今見ているドラマが、本部の

捜査一課の管理官と所轄の刑事の話だという。※太字:ふにやんま

あとはご想像のとおりです。

いきなりどやしつけられる奥様には、同情を禁じ得ませんが。

刑事の夫婦って、こんな感じなのでしょうか。

きっと警察の官舎に住んでいたんでしょうね。

犯人のことを「ホシ」と言ったり、刑事を「デカ」と呼んだり

などです。しかし「踊る」では、これらの小ネタがすべて真新しく、

現状に沿ったものに更新されていました。 ※太字:ふにやんま

 

内部からの情報提供なしにはありえない (注:第三章小見出し

 当然われわれの間では、誰かが情報をリークしているに違いない、

それは誰だろうというウワサで持ち切りになりました。情報提供を

して謝礼を得ていたりしたら、もちろん違法です。

(中略)

上層部は実際に、誰かが報酬と引き換えに情報を漏洩しているの

ではないかと、組織防衛的な観点からも警戒していたに違いない

と思います。

 「踊る」のリアリティを裏付ける内容ですね。

飯田氏、他にも警視庁本部在籍中に訪れた、所轄の食堂のおばちゃんに、

「ああ、本店の人ね」と2回睨まれた話など、なかなか笑わせてくれます。

 

本の趣旨的に、礼賛型の寄稿が多くなるのは仕方ないのですが、

第七章 日本映画の劣化が止まらない 荒井 晴彦氏

が、いかにも硬骨漢の脚本家らしくて痺れます。

ヒットの理由がさっぱり分からない (注:第七章小見出し

 僕は、一本目が100億を超えたというのでどんなものだろう

と思って見に行きましたが、別に可もなく不可もない。

 

最近の監督は誰だかわからない人ばかり (注:第七章小見出し

 それまでテレビ局が映画を作るときは、出資はするけれど、

撮るのは映画のスタッフに任せるのが慣例でした。やはり

フジテレビ製作で大ヒットした作品に先述の「南極物語」が

あります。これはまだ映画のスタッフが撮っていました。

 それが「踊る」以降は、映画の監督じゃなくて大丈夫だと

いうことになった。「映画の監督がつまらん作家性なんか

出すより、テレビのスタッフが映画もやったほうがかえって

当たる」というわけです。

 だから今僕は最近の日本映画の監督の名前を見ても、誰だか

分からない。映画界の人ではないからです。

十分になるほど!なのですが、ここからが白眉です。

荒井氏、飛ばしますよー。

 「犯人の背景を描かないというルール」 (注:第七章小見出し

踊る大捜査線」の亀山千広プロデューサーは、「踊る」の

制作段階で、従来の刑事ものとは違うことをやろうとして、

いくつか実験を試みたと言います。

 たとえば刑事が走りまわっているシーンで音楽をかけない。

犯人と呼ばずに被疑者という言い方をする。

 そういうルールの一つとして、「なぜ彼や彼女は犯罪を起こすに

至ったのかを描かなくていい」と言ったそうです。「犯人の

バックグラウンドを描くな」ということです。

 これはすごいことです。

 

商業主義は文化の多様性を破壊する (注:第七章小見出し 

 昔の映画ファンは、自分が理解できないことは勉強して知ろう

という姿勢を持っていました。

 外国映画などはその国の風習や歴史などが出てきて、わからない

ことが多いはずです。でも勉強すればバックグラウンドがわかって、

もっと面白くなる。(中略)

 今は映画について書かれた本もなかなか売れません。観客の側が

勉強して映画を理解する文化がなくなってきているということなの

でしょう。

 こうなったのは、作り手のほうが、「勉強しなくていいんだよ、

考えなくても楽しませてあげるよ」と言ってしまったからです。

 難しいことは何も考えなくてもよくて、なおかつお客さんが入る

映画でなければ映画じゃないと言わんばかりに、商業主義的な作品

だけが並んでいる。これはやはり「踊る大捜査線」以降のことでは

ないでしょうか。(中略)

 僕は「THE 有頂天ホテル」(2006年)という映画を、ある人と

一緒に見ました。見終わって僕が「笑うどころか、体調が悪くなり

ましたよ。あまりにも面白くないから」と言ったら、相手は「荒井

さん、いろんな映画があっていいじゃないですか」と言った。それ

は僕こそが言いたいセリフです。

 今見たばかりの、こういう映画がヒットするせいで、いろんな

映画がなくなってしまっているのです。

 

 引用ばかりになってしまいましたが、第七章の荒井氏の24頁だけでも、

この本を探す価値はあります。

七章の核心部分は、あえて引用していませんので。

 

そもそも、広範な議論の対象としては、映画が小さ過ぎる娯楽に

なってしまっている現状を、まず憂うべきではないかと思います。

もっと映画について、話したほうがよくないですか?

私が言うのもなんですが。

          以上 ふにやんま