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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『善と悪 江夏 豊ラストメッセージ』

『善と悪  江夏 豊ラストメッセージ』

   江夏 豊・松永多佳倫  2015 

1948年、奈良県生まれ。阪神タイガースなど5球団で活躍した元プロ野球選手(投手)。左腕から放たれる豪速球と駆け引きを武器に、プロ野球記録であるシーズン401奪三振を記録。『江夏の21球』やオールスターゲームでの9連続奪三振はあまりにも有名で、「20世紀最高の投手」との呼び声も高い。阪神タイガース球団創設80周年となる本年、同球団の春季キャンプ臨時コーチに就任し、現場復帰をはたした。

著者紹介からの全文引用。若い野球ファンだと、やはり江夏豊を知らなかったりするのだろうか?私のようなおぢさんファンには、あらためて紹介する必要性が感じられないのだけれども。

表紙はアラーキー(荒木経准)。さすがにいい写真を撮る。江夏豊の全てが凝縮されたような1枚。この写真と上の著者紹介だけで、もう何もいらないくらい。

 

競技は違っても「この人の言う事は信じられる」という選手・元選手がいる。サッカーならラモス瑠偉氏。 最近で一番印象に残ったのは『Number』のインタビュー。

バチン! バチン!

昼下がりのティールームで、ラモス瑠偉が右の拳を左の掌に打ちつけて、激昂している。

「どういうことだよ! なんでやねん!」

それまで滔々とNumber創刊35周年記念号の取材に答えていた彼が突如として怒りをあらわにしたのは、インタビュー開始から90分近くが経過した頃だった。

怒りの矛先は、日本人――とりわけ、スポーツを取り巻く日本のメディアに向いていた。

「天才、って日本人がよく使う言葉だけど、その言葉の意味が僕はまだ理解できない。メッシは天才。クリスティアーノ・ロナウドも天才。これは世界中の人が認めてる。わたしの考えだと、ネイマールは彼らに近いけど、まだ天才のレベルには達していない。なのに、日本代表でレギュラーになれてない柿谷(曜一朗)が天才ってどういうことよ!」

「クビにならないために、どれだけ壁を相手にボールを蹴ったか」

彼の言い分によるとこうだ。1977年に20歳で来日するまで、自分はディフェンダーだった。

「昔の言い方で言うとスイーパーね。いまの日本代表だと今野(泰幸)がやってるところ。ブラジルではそこでプレーしてた。憧れていたのはブラジル代表のセンターバック、ルイス・ぺレイラだった」

生粋のミッドフィルダーではなかった彼が、日本代表の「10番」を背負って中盤に君臨するに至るまでの、人知れぬ艱難辛苦の日々。

「日本に来てから、クビにならないために、どれだけ壁を相手にボールを蹴ったか。どれだけ一人で、コーンを相手にドリブルしたか。正直、人のプレーも盗みました。川勝(良一)、ジョージ(与那城)、古前田(充)さん……それで上手くなったんだから。盗んで盗んで、ラモス瑠偉になって、日の丸背負って闘ったんだから」

「日本に天才がいるとしたら、僕は一人だけだと思う」

その上でラモスは、「天才」という言葉を拒絶した。才能によりかかって、闘う姿勢を見せない日本の選手たちと、彼らの才を褒めそやしてしまうメディアに対して叫んだ。

「日本で天才がいるとしたら、僕は一人だけだと思う、小野伸二。もし怪我してなかったら、化け物みたいな選手になっていたよ。輝いてる時間は短かったけど、前園(真聖)もすごかった。森島(寛晃)もハンパじゃなかったね。人を生かす能力、イヤな所に顔を出す能力は最高だった。いまの日本代表の選手たちも、持ってるものはすごい。でも、それがどうしたの? その持ってるもので何をしたの? アジアカップ、闘っていない。もうちょっと身体張ってやらなきゃ。何が何でも絶対に勝つ。やられたらやり返す。そういう気持ちでやってくれれば、世界でも上に行ける。もったいないなあ……見てると」

自分をはるかに上回る天賦の才を認めているからこそ、歯がゆく映る。W杯初出場の前夜、「10番」を背負った元ディフェンダーからの愛のエールは、日本代表選手たちの胸にどう響くだろうか。 

出所:「日本に天才がいるとしたら……」ラモス瑠偉が認める本物のMFとは。(2/2) - サッカー日本代表 - Number Web - ナンバー

いやあ熱い。本人は「代表監督をやりたい」とか言っているけど、絶対無理だから。ラモス瑠偉にスポンサーへの配慮とか、組織運営上の都合とか言っても、一切通じないでしょ。優秀な事務方の参謀を付けても、まずその参謀と大喧嘩するのが目に見えているし。

もう名刺とか「職業:サッカー小僧 ラモス瑠偉」でいいと思う。

 

野球ならば豊田泰光氏。この人も野球が大好きで、且つハッキリものを言うタイプ。氏の連載コラム『オレが許さん!』が目当てで毎週『週刊ベースボール』を読んでいたのに、今年連載が中止になってガッカリした。単行本だと興味深いところは全部カットされるので、連載を読んでいたのに。

ダイエーホークスの春のキャンプに行ったら、豊田氏が「俺のことを悪く書くなバカヤロー!」と若き日の城島健司に怒鳴られた、なんていう面白すぎるエピソードはここでしか読めない。「こういう気の強い奴がプロの世界では大成する」という、大筋では肯定的なトーンになっていたが、普通ぶん殴られないか?城島。

この話を知っておけばWBSでの野村克也氏と城島捕手(当時)のリードをめぐる応酬も、さもありなんと思える。

豊田氏の連載の後釜は奇しくもその野村克也氏『ホンモノの野球はどこへいった』。これも続けて読んではいるけれど、ネタの使いまわしと昔話が多くてやや辟易。球史の記録的な意味合いなら、野村氏自身の膨大な著書でもう充分。日本プロ野球界の「今」について、もっと語って欲しいというのが正直なところ。

 

江夏豊はこういったご意見番タイプではないが、信じられる野球人だと思っている。「野球に対してだけは正直でありたい」そういうタイプだという確信。言わずもがなだけれど、会ったことは勿論ない。直観のみ。

 

実際マウンドに上がって投げるのは自分で、他人は投げてくれない。もう上がりたくないという気持ちになることだってある。例えば、リリーフになって、前日無様なピッチングしてサヨナラ負けして、次の日また行くぞって言われても『もう堪忍して!』って言いたいよ。でもプロである以上言えないんだよ。18年間現役でやってきて、200勝挙げたとか、百何十セーブ挙げたとか言われているけど、自分の誇りとしては登板拒否がなかった。『行くぞ』と言われたら『はい』って。嫌だってことは一度も言わなかったから。それだけは自分で誇りに思っているよね。 

俺は大阪のおっさんとマウンド上で何回喧嘩したことか。『おい、頼むぞ、しっかり投げろよ』って言うから、『こんな場面、誰が行っても打たれるんだから、あんた自分で放れや!』って(笑)

(中略)

抑えろよってこんな場面どうすんのっちゅう場面が何回あったか(笑)。それでも自分を掻き立てて行く。

(中略)

調子が悪くて本当にマウンド上がりたくないときでも、〝行くぞ、頼むぞ〟って言われたら、平然と行く。どんな状態でも、上がったもん。それがやっぱり自分の気持ちの上での誇りかな。数字よりもね。いちおう18年間それをやってきたよね。 

江夏が指導した選手の中で、いの一番にあげられるのが元広島のストッパー大野豊だ。(中略)

ここから江夏と大野の二人三脚が始まった。

「事実、俺はあいつを2回ブン殴った。一度目は練習中にボーッとしているからバーンとやって、あとは公式戦の最中、神宮球場で痛いのをおして投げよったから、『肩、痛めとるやろ、投げ方みたらわかるわ!』とバーンと。あいつも殴られるの初めてやったと思う。いろいろな思い出がある」

江夏は、大野を殴ったことを監督の古葉に報告し、大野の母親にも『大事なご子息に手をかけすいません』と謝罪の電話をしたという。  

見るからに頑健で病気や怪我には無縁と思われる江夏であるが、コンディション万全の状態でピッチングできたのはプロ2年目まで。(中略)

江夏のピッチャー人生の転機となったのは言うまでもなく心臓病であった。

「心臓病は持って生まれた欠陥。なんでこうなったかというと、昭和46(1971年)年6月くらいかな。ちょうど暑くなりかけたところで急性盲腸炎になったんよ。今の時代ならすぐ切るんだろうけど、ワシの場合、3回放置されたのよ。シーズン中だからと薬で散らされ、我慢してくれって。シーズンが終わってすぐ入院したんだけど、かなり腹膜炎が進行してて、それを手術するのにも時間がかかった。(中略)

なんとか手術がうまくいって良くなったんだけど、2カ月ほど入院し、そのときの薬の副作用で身体がむくみ出して一気に体重が10キロ増えた。次の年の昭和47年(1972年)の春のキャンプに参加して練習に入ったんだけど、身体が太ったから練習しない、練習しないから身体が太る、この悪循環が心臓に負担をかけることになった

病名はWPW。心室性期外収縮。ややこしい名前や。ワシの場合、うまれつき心臓の管が一本余分にあったらしい。健康のときは心臓も普通に機能してたんだが、10キロ太って心臓に負担がかかるようになってから、その余分な1本の管が邪魔になった。ここから心臓病との戦いやった 

 マウンドで蹲ったことは何回もあった。発作が起こるとかなり苦しい状態になる。脈拍がひどいときには1分間に205回。100メートル全力疾走したのと同じで、そんな状態で野球をやっていた。持って生まれた病気だから別に誰を恨むわけでもなかった。ただ、球団サイドからは自分とお袋が呼ばれて、一筆書かされたよ。『グラウンド上で事故があった場合、球団は一切の責任を負えません』って。そういう時代やった。自分はマウンド上でなんかあっても気にしない。それよりも野球がしたかった

江夏豊が思ったとおり、いやそれ以上の野球小僧で良かった。

                   以上 ふにやんま