ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『風眼抄』 山田風太郎はエッセイも面白かった!

『風眼抄』 山田風太郎(1979) 

「何を今さら」のかた、申し訳ございません。でも知らなかったんです。山田風太郎氏のエッセイが、こんなに面白かったなんて。

 

本書は山田氏の41歳から57歳までのエッセイから、出版社が一任されて48編を選定したものです。ちょうど作家として脂の乗り切った時期ですね。全編一貫して柔らかめのトーンですので、かなり読みやすい部類に入ると思います。

三部構成になっておりまして、一部が自分の生い立ち、二部が雑記・近況、三部が文学・歴史論という構成です。

 

「どこが面白いのか早く言え」となりますが、私の関心事とすごく共通性があって心地いいんです。自分の興味がある分野を、大家が解説してくれる。これに勝る悦びはないでしょう。 

 雀来て障子に動く花の影

 とぶ蛍柳の枝で一休み

これをだれの句と思われるか。漱石の句である。漱石と知らなきゃ、中学生の俳句としか思われない。

 吾恋は闇夜に似たる月夜かな

 骸骨や是も美人のなれの果

月並もいいところだ。

そうなんですよ!漱石の俳句、下手でしょう!みんな、あんまり言わないけど下手ですよね!私も以前からそう思っておりました!

 

過去エントリを文中に入れるのは嫌いなのですが、今回は例外的に。 

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山田先生に抱き着きたいぐらいです。(実は山田先生、続けてちょっと漱石を庇ったりもしているのですが省略します)

 

漱石といえば、私も人後に落ちぬ漱石ファンのつもりでいる。(中略)ましてや作家としての漱石が、最高最大の存在であるという評価は、もう永遠的であると思われる。

私はどちらかと言えば鷗外派ですが、両文豪ということで異議ありません。ここも同感です。

だからこそ、下手な俳句が微笑ましいんじゃないですか!

 

続いて子規と漱石について。

文学的価値の比較は目盛で計れるものではないから何ともいえないが、漱石と子規の文学的業績をくらべれば、まあ漱石のほうが大きい、と考えるのが常識だろうと思う。

はい、私もそう思います。 

しかし、その影響、とくにそれがはっきり現れるのはその弟子の如何だが、これはひょっとすると子規のほうが大きいのじゃないか知らん。子規の生んだ虚子、佐千夫、茂吉の三人だけでも、いわゆる漱石山脈の全弟子群より重いのじゃないか知らん?

そうか知らん?なるほど、そういう見方もありますかね。

でも文学的業績の評価項目に「弟子の如何」を入れるというのは全く同感で、自分の過去エントリにも書いた事があります。

両手で握手させてください、山田先生!

過去エントリ2回目いきます! 

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そもそも見ようによっては、漱石自体が子規によって生まれたものといえる。漱石がいなくても、子規はわれわれの知る子規として存在したろう。しかし、子規が存在しなかったら、われわれの知る漱石はついに誕生しなかったような気がする。

これは考えても見なかった視点。子規は100%、子規として生涯を終えたに違いないと思えるが、子規という知己を得なかった場合の漱石は・・・。確かにちょっと危ういような。

漱石は水のごとく何びとも受けいれる大教育者であった。これに対して、子規は火のようだ。そして、「火の子規」の教育は「水の漱石」よりも、さらに独創的な働きを持っていたといわなければならない。

漱石は本質的に教育者である」ここ、激しく同感です。

「水と火」漱石と子規の性向の違いを、これだけ的確に衝いた表現も他に無いでしょう。なお「教育者」漱石については乱歩論の稿でも重ねて触れられています。

乱歩さんは天性の教育者であったと思う。その点、漱石に似ている。結果としてその数多い弟子たちに敬慕されたことにおいても。

 

文学論ばかりになっていますので、ひとつ変わったところを。

はじめはペンネームの読み方でさえ、自分でも一定せず、フウタロウかカゼタロウか、呼ぶ人にまかせていたのだが、その後どうやらフウタロウにきまって来たようだ。その方が私にふさわしいように思う。

死語ですが、かなりズッコケません?そんな作家いるんかーい!普通、作家ならば目茶目茶こだわるところでしょう。カゼタロウじゃまるで北風小僧ですよ。

山田先生、ゆる過ぎ。

 

 

一方、名前にはゆるい割に歴史観は冴えてます。

「明治人」とは、明治時代に活躍し、いわゆる明治の古き良き時代を創りあげた人々のことであって、乃木大将にしたって、福沢諭吉にしたって、夏目漱石にしたって、それはたいてい文久とか慶応に生まれた人々である。自称「明治人」たちは、そこを狡猾にすりかえている。

もし強いて世代論をいうなら、明治生まれの自称「明治人」こそ、あの未曾有の大敗戦をまねき、戦後においても滑稽なほどの醜態をさらした日本歴史上比類のない骨なしの世代ではなかったかと。(中略)

ただし、僕自身は、明治時代をそれほど「古き良き時代」とは考えていない。むしろいまのぼくたちの感覚では、がまんしきれないほど陰惨で酷烈な時代ではなかったかと想像している。

 

そして最終稿、『戦中の「断腸亭日乗」』へ。

どんな人の日記でも、あの大戦争で、特に初期の戦勝期にはそれに対するよろこびの念をもらした文章がある。武者小路実篤高村光太郎はむろんのこと、谷崎潤一郎志賀直哉だってそんな文章がある。(中略)ところが、荷風に限って一切ない。爪の垢ほどもない。

いま読むと、戦争に狂奔していた九十九パーセントの日本人のほうが異常であって、それを徹底的に冷眼視している荷風がまともに見えるが、当時としては実に異常なことであった。

として、荷風の「断腸亭日乗」の戦時中の記述と、同日の戦争にまつわる出来事を詳細に併記していくのですが、これが圧巻です。

10日間の内に、山田氏の主観的な表現は一切ありません。

淡々と事実だけを書きながら、戦時のエピソードと荷風の日記の組み合わせによって、自らの思うところを十二分に語らしめる。実に読み応えのある文章です。

山田氏の力量が遺憾なく発揮されたこの稿は、本書の白眉と言って良いでしょう。

いい編集だと忘れずに褒めておかねば。

 

第二部でひとしきり興奮した後、第三部では山田氏の見識に大いに薫陶を受けたような気持ちになりました。

山田風太郎エッセイ、まだありますので当分楽しめそうです。

 

以上 ふにやんま