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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

「心細いからこそ、僕たちは間違える」森達也

読書

森達也氏のノンフィクションは世間では取り上げられる事の少ない題材を扱ったものが多い。

 
『視点をずらす思考術 』(2008)

 

視点をずらす思考術 (講談社現代新書 1930)

視点をずらす思考術 (講談社現代新書 1930)

 

 

の冒頭、自身で語っている。

 「タブーを踏み越える作家」的な形容を時折される。でも実のところは踏み越える意識などほとんどなく、作り終えてから「あれってタブーだったの?」と自分で驚いているようなレベルなのだ。
 反骨の意識など欠片もない。 
テレビドキュメンタリー出身らしく、日常に潜む小さな「違和感」を見逃さない鋭い観察眼が氏の持ち味。
テーマ選定にも、氏のそういった性癖が反映しているということか。
 
曰くオウム。曰く死刑囚。曰く屠場、小人プロレス、エスパー等々。
 
森氏の考えかたを知るには、まずこの本がお勧め。
 
『誰が誰に何を言っているの?』 

 

誰が誰に何を言ってるの?

誰が誰に何を言ってるの?

 

 

 

最後に、ナチス時代のドイツで、ルター派の牧師だったマルティン・ニーメラーの詩を引用する。ヒトラー登場時はほとんどのドイツ国民と同様にナチスを強く支持していたニーメラーは、やがてナチスによる協会への国家管理に強く反対して、最終的にはザクセンハウゼンホロコースト強制収容所に送られている。(中略) 
 
最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。 
 
次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたたとき、
私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。 
 
彼らが労働組合員を攻撃したときも、やはり私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私は、労働組合員ではなかったから。
 
やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れて行ったとき、私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私は、ユダヤではなかったから。 
 
そして、彼らが私の目の前に来たとき、私のために抗議の声をあげる者は、誰一人残っていなかった。 

(意訳 森達也 

この詩が引用されている、最終章のタイトルが

心細いからこそ、僕たちは間違える
 
人間の根源的な不安が、宗教やファシズムといった依存対象を求めること。
集団における正義が、往々にして暴力の大義として使われること。
 
E.フロムの言う「自由からの逃走」を企てざるを得ない、人間の被支配欲、従属欲を見つめてきた森氏ならではの視点だろう。
 
先日、九州の某有名進学校にTVの取材が入った時、
「僕が秀才ですがなにか?」みたいな高校生ばかりで心配したが、
「今どんな本を読んでいるの?」
と聞かれた生徒が、
森達也さんの本を」と答えていた。
 
なかなかいい本を読んでいるじゃないかと感心した。
きっとしっかりした大人になるよ。
 
以上  ふにやんま