ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『1984年のUWF』 柳澤健 が熱い!⑤上 タイガーマスク

『Number』3/3号(896号)から。
『1984年のUWF柳澤健氏 連載第5回のお題は「タイガーマスク」 

これまでになく密度の高い回です。

なお本ブログでは④はありませんので念のため。

「好敵手」ダイナマイト・キッドが自伝『ピュア・ダイナマイト』タイガーマスクとの闘いを振り返って。

試合の内容自体が、俺も彼自身にとってもすべてが新しい試みだった。

俺にはいつもどっちなのか予測がつかず、タイミングで判断するしかなかった。俺たちの試合展開はそれは速く、機敏な動きができなければ思いもよらない場面で窮地に追い込まれ、ケガをしてしまう危険極まりない闘いとなった。

そんな大きなケガをさせられても俺は試合を楽しんだし、なんたって客がそれまで以上に大興奮していたのが嬉しかった。それほど客に受けたので、俺は佐山のスタイルにすぐに慣れなければいけなかった。

二人の試合には、二人にしか成し得ない即興の要素が多分に含まれていたことが伺えます。佐山の能力を存分に披露しても壊れない。まして佐山とスイング出来たレスラーとなるとキッドを置いて他に思いつきません。

相手がキッドだからこそ、佐山は安心して場外へフルスピードで跳んで身体をあずけることが出来たし、危険な角度の投げ技で試合を引き締めることも出来たと。

 

タイガーマスクのプロレスは、通常のロックアップではなく、キックから始まる。凄まじいスピードで動き回り、恐るべき強さと高さで蹴る。ドロップキックは信じられないほど高い。リングの内外、上下を自在に駆使し、完璧なブリッジによるジャーマン・スープレックスホールドでフィニッシュする。

華麗でスピード感にあふれ、その上格闘技の匂いを濃厚に漂わせるタイガーマスクのスタイルには恐ろしいほどの魅力があり、世界中のレスラーに計り知れない影響を与えた。

当時、中学生だったウルティモ・ドラゴンは、タイガーマスク登場の衝撃を次のように語っている。

タイガーマスクが出てきた当初って、子ども向けだなんだっていう批判はあったけど、佐山先生がすごいのは、本物の強さがあった上でああいうルチャリブレをやっていたからなんです。だからほかの選手と違うんです。それがボクらとの差ですよ》

いわゆる「ハイスパート・レスリング」の先駆者は、佐山聡だと思っています。佐山はプロレスのスピード感のスタンダードを一目盛り上げた。それがジュニアヘビー級からヘビー級へと少しずつ伝播、やがて全日も巻き込んだ大きなムーブメントに変わっていったと。

プロレスを変えた男

その称号に相応しいレスラーを選ぶのなら、佐山聡は真っ先にその名を挙げられるべきでしょう。

 

日本のプロレス団体には、歴然とした年功序列が存在する。

しかし、タイガーマスクは抜群の集客力と会社への高い貢献度によって、この序列をいともたやすく打ち破った。(中略)

タイガーマスクの試合はほかの誰よりも楽しく、ワクワクするものであり、新日本プロレスのレスラーをも魅了したからだ。(中略)

そして、佐山聡タイガーマスクは先輩たちの期待に必ず応え、見たことももない動きや思いつきもしなかった技を、連日のようにやってのけるのだった。

「あいつは50年にひとりのレスラーだ」とは、アントニオ猪木の佐山評である。

1982年、タイガーマスクは初登場でマディソン・スクウェア・ガーデンを大いに沸かせます。相手は勿論、ダイナマイト・キッド。

ニューヨークのファンは、梶原一騎原作のまんがやアニメのことなど何も知らない。コミックのキャラクターではなく、佐山聡の作り出したスタイル自体が強い説得力を持っていたのだ。

すでにサトル・サヤマはメキシコで、サミー・リーはイギリスで大きな人気を獲得している。佐山聡が作り出したプロレスは、世界中で通用した。

このあたり、気分がいいですねえ。佐山聡は当時のプロレス界にあってグローバル・スタンダードに照らしても突出した存在であったと。

日本で放送された佐山の試合のビデオを、メキシコのルチャ・リブレの選手をはじめ、世界中のレスラー達が争って観たと言いますから。同業者を唸らせるのが本物のプロフェッショナル。天才・佐山聡、ここでも面目躍如です。いえい。

 

しかし、佐山聡が新格闘技を忘れることは決してなかった。当時高価だったワープロを購入し、自分の作ったルールを熱心に打ち込んだ。

人気では長州、藤波は言うに及ばず、猪木をも上回って社会現象化した(本当なんですよ!)タイガーマスク。凡人ならば大いに浮かれて我が世の春を満喫するところですが、佐山聡は違います。根っからの格闘家志向だったんですね。

 

振り返りますと、タイガーマスクがジュニアヘビーで圧倒的な人気を博していた同時期に、ハンセン、アンドレの外人2枚看板を抱え、長州・藤波の「噛ませ犬」抗争でファンをヒートさせていた新日本プロレスは、まさに創立以来の黄金時代でした。

プロモーターからはひっきりなしにお声がかかり、小学生から大人まで、幅広いファン層で常に満員間違いなしの地方興行。タイガーマスク関連を中心にグッズはバカ売れ。金曜夜7時のゴールデンタイムにあって、平均視聴率が20%を超えていたワールドプロレスリング

誰が見ても当時の新日は、盤石としか言いようがありません。ファンとレスラー、団体の思惑がピタリと一致した、夢のような蜜月の時代でした。

では何故、盤石の態勢を誇った新日本プロレスが迷走に向かい始めたのか。

天才、佐山聡についての大変気持ちのいいパートから、話は急激に生臭い方向へと移っていくのですが、それは回をあらためて。

「④下」に続きます!

 

以上 ふにやんま