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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

『1984年のUWF』 柳澤健 が熱い!⑦ 旗揚げ戦

スポーツ 読書

『Number』3/31号(898号)から。
『1984年のUWF』柳澤 健 連載第7回のタイトルは「旗揚げ戦 

段々連載との同時進行に近づいてきましたので、このあたりで本ブログのルールを一旦確認。

『Number』最新刊については触れない。1号前までとする。

希少性、独自性の高い部分は連載本文から引用しない。

例:新日クーデター後の、幻の新経営陣の顔ぶれはプロレスファンならば当然知りたいと思いますが敢えて引用を自粛。「専務に佐山聡」だけ引かせて貰いました。

元々雑誌としては大判の『Number』にして、4頁4段組みの長文連載ですし、許されるものなら是非ここに添付したい魅力的な写真も毎回2枚掲載あり。

なので昭和プロレスファンとしては、バックナンバーを含めた『Number』の購読を即開始されるもよし(税込590円分の価値は柳澤氏の連載だけで十分にあり)、単行本刊行を待つもよし。くれぐれも本ブログで読んだ気にだけはなりませんように。

 

さて、大宮での旗揚げ戦のメインで前田明の対戦相手を務めることになったダッチ・マンテル。テリー・ファンクから「日本の新団体に出場してくれ」とだけ聞いて、UWFについては何も聞かされずに日本にやってきます。

まあ、UWFがどんな団体かなど、その時点で説明できる人間は世界中に誰一人いなかった訳ですが。

「ヤツらは普通じゃない」

プロフェッショナルであるマンテルは、試合を盛り上げようとベストを尽くしたものの、興奮したマエダは、観客を喜ばせることよりも、むしろ強く攻撃することに夢中になっていた。

そして最悪の瞬間がやってくる。

マエダのスピニング・ヒールキック(フライング・ニールキック)がモロに顔面に入った、とマンテルは自伝の中で回想している。

《その一撃で俺は失神し、目からも口からも、そして鼻からも出血した。もし私が経験の少ないレスラーであったなら、マエダが俺にシュート(リアルファイト)を挑んできたと考えたに違いない。たとえ、ストリートファイトでも、俺がこれほどまでにこっぴどく痛めつけられたことなど一度もなかった。(中略)

しばらくするとマエダが俺の控え室にやってきた。何度も頭を下げて『ソーリー、ソーリー』と繰り返している。》

(Dutch Mantell 『The World According to Dutch』)

いかにも「トンパチ」と新日若獅子寮で異名をとった前田らしいエピソードで、マンテルには失礼ですが笑えます。

マンテルにしてみれば、新団体の旗揚げ戦のメインイベント。自分の役割は十分理解しているベテランです。新団体の若いエースの魅力を全て引き出して、観客を大いに盛り上げてからピンフォール負けすればいい。

前田の技を受ける気満々の、そんなマンテルに対してニールキック顔面に入れたらアカンでしょう。

マンテルがもう少しタフで頭に血が上りやすいタイプだったら、この試合はぶち壊しになっていた可能性もあります。前田のニールキックの破壊力が凄まじくて良かったですが。

最後は前田、意識のトンだマンテルをジャーマンでピンフォール。プロレスの常識で言えば、危険極まりない。クレイジーな試合展開です。

 

プロレスはショーであり、エンターテインメントである。それ以外のものではない。しかも、試合数は恐ろしく多い。

毎日のように試合をするレスラーにとって、最も大切なのは自分がケガをしないことであり、次に大切なのは相手にケガをさせないことである。

プロレスにおける理想の攻撃とは「こんなことをすれば死んでしまうのではないか?」と観客たちに思わせるほど激しく見えて、実際には対戦相手に一切の痛みを与えないというものだ。

投げっぱなしジャーマンとかひねりを加えたバックドロップとか垂直落下式ブレーンバスターとか、見た目が派手で観客が「おいおい大丈夫かよ!」と心配するような一連の技は、実はレスラーにすればあまり危険じゃないのだろうなとは思っていました。

レスラーの間で流行する時点で、既に安全性が担保されているに違いないと。

フリーな態勢で投げっぱなしてくれれば、受け身は取りやすい。

しっかり頭部をホールドして落としてくれれば、垂直に落ちような背中から落ちようがダメージは一緒。

意外とそんなところなのかな?と。

一番危ないのは下手な技と、かけそこなった技だ。

というのはレスラーがよく言いますね。

 

”クラッシャー(壊し屋)”の異名を持つUWFの25歳のエース前田日明は、ブラッシーのようなプロレスの達人とは正反対のレスラーだった。

対戦相手を実際に失神させ、ケガを負わせてしまうのだからプロレスラーとしては最悪である。

アキラ兄さん、大層な言われようですがその通りでしょう。

団体を支えるべきエースが、招聘ルートすらおぼつかない中、外人レスラーを壊していったらシリーズはもちませんからね。

マエダとはやりたくないと言ってマッチメークをボイコットされたら終わりです。

 

控室に戻った前田は、記者たちに向かって反省の弁を述べた。

「俺は未熟だ。プロとして見せる試合ができない。ニューヨークで、レスラーとは観客と格闘するものと悟ったのに、やっぱり日本では通用しなかった。一度やめたつもりで出直す」

前田は甘いマスクと立派な体格の持ち主だが、アントニオ猪木のような天性のショーマンシップも、佐山聡のような天才的な運動神経も持ち合わせていなかった。

しかし、前田日明は心に響く言葉を持っていた。

率直で温かい心の持ち主は、いま自分が置かれている状況を客観的に見ることのできる知性を兼ね備えていた。

しかし、多くの人々が前田日明の魅力に気づくまでには、さらに数年の時間を必要とした。

旗揚げ戦に勝ったエースの言としては相応しくない内容ですが、いかにも前田らしいと言えば前田らしい。

自ら力量不足を認めたエースの責任ではないですが、UWFはオープニング・シリーズで早くも崖っぷちに立たされます。

旗揚げ戦の大宮スケートセンターは満員となったものの、続く熊谷、下関、岐阜はガラガラだった。(中略)

ひとことで言えば、この6人は観客を呼ぶ力を持っていなかったことになる。

翌日には東スポで対戦カードが分かりますから、UWF参加レスラーのショボさに気付いたファンが、チケットを買ってくれるはずもありません。

最終戦の4月17日蔵前国技館。メインイベントは前田日明VS藤原喜明。それでも半分ほどの入りだったそうです。

アントニオ猪木の付き人を長年つとめた藤原は、猪木に命じられて1試合限定で蔵前国技館にやってきたのだ。

藤原は約5年間、毎日のように前田と寝技のスパーリングを続けてきた。かなりの体格差があったにもかかわらず、それでも藤原が前田に遅れをとったことは一度もない。ふたりの実力差はそれほど大きかった。

錯綜するUの遺伝子たちの運命。猪木にすれば「新間に貰った2500万円分ぐらいは協力してやらないとな」ぐらいの気持ちだったのかも知れませんが、同じゴッチ門下生の二人が第一次UWFのオープニング・シリーズの最終戦であいまみえて、何も共鳴するものが無かったとは思えません。運命とはいたずらなものです。

 

ところで、肝心の新間寿はどこへ行ったのか?

ちっとも出てこないじゃないかと、お気付きのあなたは鋭い。

混乱の元凶である新間寿はこの日、会場の大宮スケートセンターに姿を見せなかった。逃げたのである。

プロレス団体の幹部なんて、大概こんなもんです。

プロレス界の狼中年として多方面に多大な迷惑をかけた新間寿は、当時命を狙われていたという話まで連載にありますから、無理もないのでしょう。

なお厳密には新間寿、最後までUWFの社長には就いておりません。

 

なお、今回の白眉は『週刊プロレス』の山本隆司記者の一文。

”風雲児”の道を選んだ前田は、新団体、UWFにすべてを賭けることになった。

この賭けは、今後、UWFがどんな形になろうとも、前田にとって、いい方向に進むだろう。なぜなら、このまま正規軍の2、3番手としてくすぶっていれば、その素質は腐るだけだ。(中略)前田に、脇役は似合わない。この男は、王道を歩ませたとき、とてつもない力を爆発させるタイプだ。また、レスラーは運命の流れを変える手段を選ばない限り、道は開けない。(『週刊プロレス』1984年3月27日号) 

そう、後の『週刊プロレス』編集長、ターザン山本氏38歳の時の一文です。

プロレス記者としては規格外の、非凡なものをプンプンと感じさせるこの文章。

のちの前田日明を正確に予言する素晴らしい記事だ。慧眼というほかない。 

柳澤健氏もベタ褒めであります。全く同感です。ターザンは記者時代もやっぱり凄かった!と再認識。

 

この回、どうも話があちこち跳びますね。

オープニング・シリーズ5戦のみで、早くも頓挫するかに見えたUWFですが、ここから意外な粘り腰を見せるのは皆さんご承知のとおりであります。 

続く。 

 

以上 ふにやんま