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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

『きみが選んだ死刑のスイッチ』 森 達也

 『きみが選んだ死刑のスイッチ』  森 達也(2009)

きみが選んだ死刑のスイッチ (よりみちパン! セ)

きみが選んだ死刑のスイッチ (よりみちパン! セ)

 

初出は2011年って下に書いてあるじゃん?2009年は間違いだろう?と思われるかもしれませんが、よりみちパン!セ』シリーズはオリジナルの理論社が倒産して、イースト・プレスに丸ごと移管されているんですね。

ヤング・アダルト即ち中学生以上の読者がターゲットですが、  超豪華な執筆陣と手抜きの無い内容で、大人が読んでも十分に面白い。良いシリーズです。

2014年6月で新刊の刊行がストップしているそうですが、勿体ない限り。

 

養老孟司『バカなおとなにならない脳』は15万部だそうですから、ベストセラーと言っていいでしょう。

西原理恵子『この世で一番たいせつなカネの話』も同じぐらいか、それ以上に売れているのでは?本の売り上げって公表されたデータが少ないのでよく分かりませんが。今、本棚を探したら我が家にもありました。

玉袋筋太郎『男子のための人生のルール』とか、よく企画が通ったなと思います。浅草キッドの本は大体面白いのですが、路線がよりみちパン!セと全然違うじゃないですか。おそるおそる読んでみましたが、結構いい本でしたよ。

 

 

森達也氏はよりみちパン!セで計3冊の著書があります。

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー (よりみちパン!セ)

前者は食肉の流通過程を例に、不可視領域から目を逸らさずに考えることの重要性を説いたもの。後者はいわゆるメディア論。

そして『きみが選んだ死刑のスイッチ』

 

それぞれ独立したものではなく、むしろ密接に関係したものではありますが、ざっくり言うとタブー化する事の欺瞞、メディア論、死刑問題。

森氏のメインテーマはこの3つに括る(くくる)事が出来るかと。今なら戦争論も加えるべきかも知れません。

 

いずれもかなり手ごわい内容ですので、よりみちパン!セのようなヤングアダルト向けに書かれたシリーズは、入門編としては大変有効です。 

このあたりであなたは思うかもしれない。そもそもなぜ国家が必要なのだろう。

ホッブズはその著書『リヴァイアサン』で、国家や政府の必要性を、こんなふうに説明した。

①もしも国家や政府などが存在しない社会があるとしたら、人は自分の命や財産を守るために、自ら武装しなければならなくなる。

②その結果、多くの人が武器を持つようになる。

③ならばその社会は、かえって危険なものとなる。

④だからこそ安全な生活を守るため、人は自分で自分の身を守る権利(自然権)の一部を放棄して、武器を捨てねばならない。

⑤すべての人に武器を捨てさせるためには、すべての人が従う共通の権力が必要になる。

この権力が政府や国家だ。だからこそこの権力は、すべての人が等しく参加し、すべての人の合意のうえで、強制力や執行力を与えられた権力でなければならない。

さすが中学生以上向け。分かり易いですね。

「銃を持った悪いやつらを止めるには、いい人間が銃を持つしかない」という、全米ライフル協会の言い分が、なぜ屁理屈に過ぎないのか、よく分かります。

 

 

つまり「疑わしきは罰せず」。あるいは「疑わしくは被告人の利益に」。どちらも多少の疑いがあるくらいでは、その人に刑罰を与えてはならないという原則だ。これを「無罪推定原則」という。

罪刑法定主義」と「無罪推定原則」。この二つの理念は、近代民主主義国家の司法にとっては、とても重要なルールだ。

司法には「デュー・プロセス」という言葉がある。訳せば「適正な手続き」。つまり正しい裁判を保障するものは、適正な手続きであるということだ。言い換えれば、適正な手続きをちゃんと踏んでいないのなら、その判決にどんなに信憑性があったとしても、無効にされなければいけないという原則だ。

あなたに知って欲しい。司法とは、裁判とは、それほどに慎重に進めねばならない制度だ。いっときの感情や思い込みなどで、絶対に人を裁いてはならない。なぜなら罪を認められた人は、国家による「暴力」を、これから受けるからだ。だからこそ慎重でなければならない。

罪刑法定主義については言うまでもないですよね。恣意的な処罰を避ける為に、法律において犯罪とは何か、それに対して与えられるべき刑罰は何かを、予め決めておかねばならないという大原則のこと。

でもあなたに知って欲しい。

物事すべてが、多数決だけで決まるわけではない。言い換えれば、多い方が常に正しいわけでもない。

権力や正義が時に暴走することを、森氏は本著の中でも繰り返し説いています。

このあたりは森氏の主張の基盤が端的にまとめられているので、大人の基礎教養としてもお薦め。死刑問題を考える際に必要な情報が、短時間で整理出来ます。

 

 

そして若者向けだからといって、森節(もりぶし)は熱さを失いません。

未来を担う若者に対してということで、むしろ激しさを増しています。 

物を盗んだり誰かを傷つけたりしたのなら、償うことは可能かもしれない。でも人をもし殺したのなら、もう償いなどありえない。どんなに悔いたとしても、殺された人はもう戻らない。まずはここから考えてほしい。 

死刑存置論者は、「(加害者の)命を持って罪を償わせろ」と言う。そして廃止論者は、「(加害者を)生かして罪を償わせるべき」と主張する。

ならば僕は言う。どっちもまちがっている。

なぜなら人の命は戻らない。もしもあなたが人の命を奪ったのなら、何をしても何をやっても、絶対に償うことなどできないのだ。だから人は人を殺してはいけない。

どんな理由があろうとも。

 

若者向けのシリーズということで、死刑に関する氏の他の著作で使われているエピソードも、親子の会話の形でより詳細に紹介されています。 

もう十年ほど日本で暮らしているイタリア人の友人がいる。彼の子供は日本で生まれた。その子供から、彼はあるとき、「どんな理由があっても、人は人を殺してはいけないの?」と訊ねられた。

「もちろんだよ。どんなことがあっても、人は人を殺してはいけない。殺させてはいけない」

「でもならば、なぜ戦争があるの?」

「だから戦争は悪だ。やってはいけない。誰だってそう思っている」

「ならばなぜこの国には死刑があるの?あれはいけないとは誰も言わないよ」

彼はそこで、言葉に詰まったという。彼の母国であるイタリアでは、もう何十年も前から死刑は廃止されている。死刑が今もこの国にある合理的な理由を、彼は息子にどうしても説明できなかったという。

そんな話をしたあとに、彼は僕にこう言った。

「息子に胸を張って、人はどんなときでも人を殺してはいけないと教えたい。でもこの国ではそれができない」 

僕にもまだ幼い息子がいる。彼に言いたい。

「どんな理由があっても、人は人を殺してはいけない。殺させてはいけない」

でももし、「ならばなぜ死刑という制度があるの?」と息子に聞かれたら、きっと僕はこう答えるだろう。

 

「人はそれほど賢くない。いつも正しいことをしているわけでもない。でも人はいつかまちがいに気づく。きっといつかは変わる。僕はそう信じている」

後半は本書の結びの文章です。

とても感動的な一文で、全くそのとおりだと思います。

 

ここで終われば話としては綺麗なのですが、もう少しだけ。

死刑問題は、森氏の言い方を借りれば人の情緒に関わる問題なので、論理による解決を感情が激しく拒むという難しい一面があります。

具体例を挙げましょう。

今年1月、東京都大田区で3歳の男児が、実母の交際相手の男性から虐待を受けて死亡する、という大変痛ましい事件がありました。

報道ではこの男性、身長195cm、体重120kgの大人でもひるむような巨漢で、男児をサイドボードに投げつけたり、平手打ちをしたりと日頃から執拗に虐待。

1時間半に及んだというあまりに凄惨な暴行のため、男児の死因は特定されていませんが、この巨体でかかと落としを男児の頭部に繰り出し、頭蓋骨折や眼底出血が見られたとのこと。

かかと落としというのは大きく振り上げた片脚のかかとを、相手の頭部にむけて振り落ろすという空手の蹴り技です。スピードと体重の乗せ方次第では、熟練の格闘技者でも一発で気絶するような大変危険な技で、これを98cmしかない男児にという時点で、もはや正気の沙汰ではないのはお分かり頂けると思います。

 

森氏の表現を使えば、感情的、情緒的にグズグズになるような凄惨な事件です。

なぜ大人が誰も男児を守れなかったのか。

平和な日本に生まれながら、なぜ3歳で虐待死を迎えなければならなかったのか?

虐待されて死ぬためだけに生まれてきた命があっていいのか?

 

山口県光市の母子殺害事件の加害者少年(当時)をはじめ、凶悪殺人事件の被害者、加害者双方との面会を重ね、こういったグズグズになるような多くの経験を経た上で、それでも死刑廃止論者としてのスタンスを変えることはもうないと言い切る森氏。

 

我が身を顧みれば、グラグラと揺れ動いているのがすぐに分かります。

理屈では分かる。でも感情的にはどうしても心から肯くことが出来ない。

自分の死刑へのスタンスは、保留だと言わざるを得ません。どうしても整理がつかない。

 

ただ、こういう本を若い人が読んで考えること、考え始めることは絶対にいいこと且つ必要なことだと思います。それは心から。

 

以上 ふにやんま