ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『教誨師』 堀川恵子 人を救うということ

 教誨師』 堀川恵子(2014)

教誨師

教誨師

 

アザゼル (id:xlab)さんからお薦め頂いた本をようやく読了。

正直、教誨師(きょうかいし)という職名も初めて聞きました。

死刑判決が確定すると、死刑囚は面会や手紙など外部とのやりとりを厳しく制限され、死刑が執行されるまでの日々のほとんどを拘置所の独房でひとり過ごす。教誨師は、そんな死刑囚たちと唯一、自由に面会することを許された民間人だ。

間近に処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場にも立ち会うという役回り。それも一銭の報酬も支払われないボランティアだという。

本書は全国1,800人の教誨師の中でも最長、28歳から50年以上教誨師として活動された渡邉普相(ふそう)氏へのインタビュに基づくノンフィクションです。

この話は、わしが死んでから世に出して下さいの

教誨師は拘置所内で見聞きした内容の口外を禁止されます。他の守秘義務を持つ職業同様、家族や他の教誨師であってもです。

 

全国教誨師連盟の理事長も務めた晩年の渡邉普相氏は、自らを評してこう言います。

真面目にひとつのことをずっと突き詰めて考えていくタイプじゃない。そんな人間は教誨師の仕事なんて長くは続きませんよ。言うとることが矛盾だらけかもしれませんがね、真面目な人間に教誨師は出来ません、ええ、務まりゃしません。突き詰めて考えておったりしたら、自分自身がおかしゅうなります・・・・・・。

間近まで迫った死に囲まれて毎日を過ごす死刑囚と向き合い、その支えとなること。

渡邉氏の教誨師としての半生は、人が人を救うということの困難に、悩み苦しむ苛烈なものであったことが伺えます。

宗教家として真摯であればあるほど、死刑制度の中に組み込まれた自分の矛盾と限界を自覚せざるを得ない。

志願して教誨師となった者でも、3年から5年で辞退したり、中には1年ともたないようなケースもあるそうです。何年も面談を重ね、ようやく気心の通じた囚人の、死刑執行の最後の瞬間まで立ち会う。宗教家をして、逃げた方がよほど楽、そう思わせるだけの厳しさがあるのは想像がつきます。

 

印象的な部分を。

病人には医者がいる。医者が病状を診断し治療してくれる。犯罪者にあるのは法律だ。しかし法律は裁くだけで後々の面倒は見てくれない。死刑というのは、その法律が犯罪者を「もはや用なし」と切り捨てるのに等しい。彼らのことを顧みようとする者など誰もいない。だからこそ最後の頼みは、自分たち教誨師なのだ、と。(中略)

後に、この「救い」という言葉がどれほどの重みをもって彼自身の人生に跳ね返ってくるかなど、考えもしなかった。

死刑事件の加害者である死刑囚には、大橋と同じような被害者的な恨みに捉われている者があまりに多く見受けられた。幼い頃から家や社会で虐げられ、謂れのない差別や人一倍の不運に晒されて生きてきた者が圧倒的に多い。そして成長するにつれ、自己防衛のために自己中心の価値観しか持てなくなっていく。だからと言って罪を犯すことが許される訳ではなく、自業自得と言ってしまえばそれだけのことだが、そうして行き着いた先が「処刑台」では救われない。

 

人は「自分たち」と「それ以外」に分けて考え始めた時に、集団暴力へのスイッチが入るというのは森達也氏の弁です。

本書に登場する様々な死刑囚の姿を通じて、彼らを特別なサイコパスシリアル・キラーとして無自覚に排斥することの妥当性に自信が持てなくなるはず。

奇しくもなのか、ある種の必然なのか、渡邉氏は悪人正機説の浄土真宗の僧侶ですね。ちなみにクリスチャンも含めて、教誨師に宗派の縛りはありません。

自分の右手の障害を罵られて殺人に及んだ大橋の場合もそうだが、死刑囚自身の心の奥底に燃え続ける怨みの炎を消さないことには、平穏はやってこない。自分が被害者であり続ける限り、自ら手にかけた被害者に思いを馳せることなど出来るはずもない。そんな心の状態に「処刑」という形でしかピリオドを打つことが出来ないのだとしたら、あまりに不憫だ。せめて誰を怨むことなく静かな心境で逝かせたい、渡邉は心からそう願った。  

肉親の愛に触れることなく、出逢いに恵まれることなく、誰ひとり彼を諫めたり止める者もなく、行き着くところまで行ってしまったような人生だった。しかし他の例に漏れず、こちらから真面目に働きかけてやればきちんと応えることの出来る人間でもあった。大切な「たったひとり」に恵まれなかった。関心や愛情を注がれれば、それを受け止めるだけの素養は人間みな持ち合わせているのに本当に惜しい、と渡邉は思った。

 

何をもって人を救うと言うのか。

教誨師としてのキャリアを積むにつれ、渡邉氏の悩みは深くなっていきます。

多くの人はね、救うというのは命を救うという解釈をなさいますがね、われわれの言っている救いっていうのは、阿弥陀様に抱かれていく救いということですから。本人は死刑にはなるんだけれども、本人の心が・・・、難しいね、とても。「先生、死刑になっていきますけど、今度は人を救える人間になっていきますからね」と、そういうものにしていく。それをあえて救いということで表現していく。(中略)そう言いながらね、「じゃあ、あなたは人を救ったのか」なんて聞かれると、それは難しいね・・・。

いつ頃からか教誨師という仕事に迷いを感じるようになってね・・・

教誨師になった頃は、社会から見放された死刑囚たちを救いたいと一心に思った。その想いに一分の偽りもない。しかし、いよいよ死刑執行の場に立ち会い、そして時間が経つにつれ、これから自分の手で殺さなくてはならない者を「救う」などと考えること自体、偽善ではないかと思うようになったというのだ。

 

ようやく心を開いてくれたと思ったのも束の間、油断してつい何気なく漏らしてしまった一言で深く傷つき、再び内面に閉じこもったまま教誨師の立会いを拒んで1人で絞首台に立った死刑囚。

自分を捨てた母を怨んだまま死なせてはならない、自らの罪を罪として受け入れ、母を赦して穏やかな心で旅立ってもらいたいと何年も教誨に務めてきたものの、執行直前のまさに今際のきわに、母への想いに我を忘れて暴れ出し、覆面を被せられて力づくで絞首台に乗せられる死刑囚。 

「先生!お袋はやっぱり来てくれませんでした。もう私には時間がありません、もう間に合いません!あの時、お袋に捨てられさえしなければ、私はこんなことにならなかった!お袋は私を捨てた、捨てたんです!」

そん時、わっし、涙が出てね、お経が読めなくなったんだ・・・。(中略)本当にこたえました。わしは・・・長い間、教誨をしてきたけど、結局何も出来んかったと。結局、彼は最後まで母親を怨みながら死んでいった。

本人が母親のことを怨みながら死んでいかなきゃならなかったという心の状態がね、それが可哀想でね。何のために教誨を続けてきたんだろう思うてね。

 

こうした辛い経験を経たことで(ご本人は因果関係を否定されていますが)渡邉氏の心身にも変調が生じ、やがて教誨師としての考え方も新たな局面を迎えます。そこは本書でご確認いただければ。

昭和6年(1931)に生まれ、平成24年(2012)に81歳で亡くなられた渡邉氏は、死刑に対して人殺しと いう言葉を使うことにこだわりました。

「人殺し、人殺し」って言うとね、拘置所の人らは「人殺しって言わないで下さいよ」って嫌がるんだけどね。人殺しじゃないか、あんた、人殺しやっているんだぞと。

だって人殺しじゃないですか。良いことをやっているわけじゃないでしょう?みんな仕方なしに・・・(※力を込めすぎて声がかすれる)・・・やっているんです。私たちも喜んで立ち会いしているわけじゃありません。だけども、死刑というものがある限り、誰かが、誰かがやらないといけない。  

本願寺の坊さんたちがいくら死刑反対だって大きな声で言ってもね、現場(※法律)がそうならない限り、絶対ここから引くわけにはいかないんですよ。「教誨師なんていうのは法務省の手先だ」なんてこと書いている僧侶もいますがね。でも最初から、法の決まりの中でわれわれ教誨師になっているわけですから。拘置所っていうのは「人殺し」がついているんですから。その人殺しをね、宗教者も誰も外部の人間抜きでやったら、それこそ本当に人殺しの現場になってしまいますよ。

教誨師という立場上、本書が「加害者に視点が寄り過ぎている」と言われるのは当然です。

いかに拘置所や刑場や、死刑囚の肉声がリアルであっても、所詮は二次情報じゃないかと言われればその通りです。

ただ、第三者として死刑確定後の加害者の心情を知る上で、本書が真に希少な資料であることは言を俟たないと思います。 

死刑制度に廃止派のかたにも存置派のかたにも、むしろ死刑制度に全く関心の無かったかたにこそ、是非一読をお薦めしたい良書。

アザゼル (id:xlab)さんのお言葉を借りれば「ノンフィクションの金字塔」

決して大袈裟ではありません。

よい本を紹介頂きまして、深く感謝します。

 

以上 ふにやんま