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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『読書は格闘技』 瀧本哲史

読書

『読書は格闘技』 瀧本哲史(2016)  

読書は格闘技

読書は格闘技

 

 【トピック】

①瀧本氏は「好きな本を一冊だけ教えて欲しい」という質問に対して答えない

②現代におけるBildungsromanとしての『タッチ』再解釈

 

いわゆる愚問、というのがありますね。

プロ野球のヒーローインタビューでの「好調の秘訣は何ですか?」みたいな。

プロがそんな事、答える訳あるかい!という突っ込みが、球場中から入ればいいのにと思います。アナウンサーも少しは考えるようになるでしょう。

そういうくだらないことばかり聞くから、ソフトバンク柳田選手の

「今日、鼻毛抜いているのがTVに抜かれたんで、今度から気をつけます!!」

といった珍回答が生まれる訳で。

待てよ。柳田選手の場合は超天然だからであって、インタビュアーとの因果関係は無いのか。


ギータ 鼻毛のヒロイン1

注)ベンチでうっかり鼻毛を抜いているシーンを、TV中継で放送されてしまったという意味。「ヒロイン」はヒーローインタビュの略です。念のため。

 

愚問の中でも前述の①は筆頭だと私も常々思っておりまして、瀧本氏に拍手喝采です。

よくぞ言ってくれた!

経営者や政治家にこの質問をすると、みんな世間体を気にするのか本当に無難な本しか挙がりませんよね。司馬遼太郎とかM・ポーターとか。新味も何もない。

一冊の本がそれほど大きい意味を持つとは思わないし、質問者と私の状況はかなり異なっているから、私にとって良い本がその人にとって良い本である保証はない。そういった質問者は、「一冊の本との出会いで人生が変わる」的なものを求めているのかも知れないが、それは全くの幻想である。さらに言えば、一つの重要な問題に対して、一冊の意味ある本が存在しているとなると、「読書は格闘技」の考え方からすれば、その本はある強い立場を表明している本であるから、それだけに依拠するのは危険である。だから、私はそういう質問に対して、特定の本を挙げたりすることはない。

それでも、本書では様々なテーマについて、本を紹介し論評していくことになるだろう。いかにして、この矛盾を解決することが出来るだろうか。

そこで考えたのが、あるテーマについて全く異なるアプローチの本を二冊紹介し、それを批判的に、比較検討するという形態で話を進めていこうというものだ。

〈読書は格闘技〉とは

曰く:本に書かれていることを、受動的かつ無批判に頭に流し込むのが読書ではない。常に疑い、反証を試みながら、自分の考えを確立していく行為が読書の価値だ。

本書はタイトルから、上のような古色蒼然(失礼!)とした読書術の本だと解釈して手を出しそびれているかたが多いと思われます。私もそうでしたが、

実は違うんです。

二冊の本を瀧本氏が解説しながら、激しくバトルさせていくというスタイルの本。

時には瀧本氏も乱入レスラーのように試合に加わる事もあり、繰り広げられる知のバトルロイヤル。

誤解されていたかたは、あらためてご購入を検討ください。なかなか面白いですよ〜。

 

実績ある瀧本氏の著作の紹介としてはこれで十分なのですが、②は新鮮だったので少し触れますね。

『 Round10 』教養小説 --------大人になるということ

ちなみにこのラウンド、あだち充『タッチ』の対戦相手はゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』 

すごい異種格闘技戦もあったものです。

一般的には高校野球をテーマにしたラブコメというのが『タッチ』の位置づけだと思うが、これを一つの「教養小説(Bildungsroman)」と再解釈するとこの作品の特異性が際立つ。

しかし、『タッチ』はこの古典的な様式をいきなり否定する。主人公となるべき努力家の双子の弟、上杉和也は一年生エースとして甲子園出場を決める試合に向かう途中、交通事故で亡くなってしまう。かくして、双子の兄、上杉達也は弟と、幼なじみの浅倉南の夢を実現すべく、甲子園を目指すことになる。

スポ根は才能においてやや劣る主人公が努力によって乗り越えていくストーリーが多いが、達也の場合、元々あった抜きん出た才能を自己発見していくというストーリーに近い。

弟を越えその影としてでなく主体性を取り戻す(死者というライバルは高橋留美子めぞん一刻』にも見られる)、完成された人間になるという目的は、あくまでも、浅倉南に好かれたい、浅倉南の相手として相応しくなる、自分が浅倉南を好きであると認めるという、極めて「個人的」な課題達成である。 

最後の浅倉南三段活用、ストーリーを正確に把握してて素晴らしいなあ。ムフ♡

ここでは、「強さ」「正しさ」というような一般的な美徳よりも、かなり個人的な「自己承認」が終着点となっている。

実は、恋愛を通じた自己発見、自己成長といううのはどちらかというと少女マンガのモチーフ

少女マンガの手法を少年マンガに取り入れたあだち充は一つのイノベーションを起こしたと言えるだろう。あだち充は元々柔らかい絵柄の方向から、編集者のすすめで、初期は少女マンガの仕事をしていたという。時代があだち充に追いついたのだ。

だんだんマニアックになっていく....

『タッチ』の構図のその後の影響はあまりに大きい。「平凡な少年がなぜか凄く優れた女性に好かれる」は、やや粗製濫造気味なライトノベルでよく使われるし、「主体的な目標を強制的に選ばされるが、好きな女性に認められるために打ち込み、圧倒的な才能が発見される」という構図は、例えば『新世紀エヴァンゲリオン』がまさにこれにあたる。

『タッチ』と『エヴァ』が構造的に似ているとな!言われてみれば確かに。全く気付かなかった! 

廣野秀明氏はこれを聞いて何と言うのか?すんごい知りたい。

ライトノベルや『新世紀エヴァンゲリオン』は若者を中心に広範に受容されており、かつての若者が読んでいた日本の「教養小説」である『次郎物語』『真実一路』『路傍の石』などの代わりに、『タッチ』型「教養小説」を読んでいると言って良いだろう。

日本で一番売れているマンガ雑誌、週刊少年ジャンプの「友情・努力・勝利」の理念もある種同じ構図で、現代の「教養小説」なのかもしれない。

なるほどねー。そういう解釈が成り立ちますか。

サービス、サービスぅ。←特に意味なし。『エヴァ』で思い出したので。

恐竜が滅びても鳥として実は現代にその末裔が残っているように、十八世紀の教養小説は形を変えて、現代の社会を変えようとする若者に息づく、そういう普遍性を持っているのだ。

存外にアニオタな面を垣間見せる瀧本氏ですが、最後はさすがにアカデミックに、格調高く締め括るのでした。

 

でもマッキンゼー出身でもある氏の本領は、やはり経済の分野で発揮されています。

『 Round7 』大勢の考えを変える(マーケティングなんかはさすがに読ませますね〜。

 

以上 ふにやんま