ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『絞首刑』青木 理

『絞首刑』青木 理(2009) 

死刑制度についてのノンフィクション。

絞首刑 (講談社文庫)

絞首刑 (講談社文庫)

 

自ら控訴を取り下げて、死刑判決を確定させた確定死刑囚  尾形 英紀の一文から。

俺の考えでは死刑執行しても遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。

俺個人の価値観からすれば死んだ方が楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。

死を覚悟している人からすれば死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、つらい生活から逃がしてくれるだけです。

だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。

死を受け入れる変わりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。

なんて奴だと思うでしょうが死刑判決で死をもって償えというのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。

人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないのですか。

将来のない死刑囚は反省など無意味です。 

尾形 英紀の上に引いた文章は、死刑廃止支持団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が全国の拘置所(刑務所ではない)に収容された死刑囚に出したアンケートへの返信です。

確定死刑囚の外部との通信は厳しく制限されて通常なら不可能なのですが、福島瑞穂 参議院議員を通じて送付することで、アンケート自体初めて実現したそう。

注)ちなみに送付は2008年7月。送付した死刑囚は105人。回収されたアンケート返信は77人分。本書ではこういった時制、定量的記述が全般に甘くイライラします。減点。

 

本来なら世に出ることは無かったであろう確定死刑囚の肉声を、こうして拾い上げてオープンにした功績は認めるべきだと思います。 

(偉いぞ福島瑞穂 党首。さすが弁護士出身。党の存続の方で大変そうだけど、この件は覚えておくよ!)

死刑囚 尾形 英紀がアンケートに添付した10ページに及ぶ長文には、警察や検察、裁判官も含めた司法への強い不信感が込められていて、暗澹とした気持ちになります。

背景はお察しのとおり。

改ざん。差し替え。証人への教唆。

罪状を認めた犯罪者の調書なんて、やりたい放題らしいです。

 

凶悪犯には、公平な裁判なんて望むべくもないんだ。

そんな絶望に裏打ちされたのが、上の引用だと思って欲しい。

精一杯虚勢を張った文面に、人の最低限の矜持が詰まっている。切ない話です。

アンケート返信からもう少しだけ。

本当に心から反省している死刑囚を執行する事で本当に罪を償うことになるのでしようか?罪を背負って生きていく事が、本当の意味での償いになるのではないかと思います。(中略)

俺だって家族が殺されたら犯人を許す事はないし、殺したいと思うのが当たり前です。

しかし、それでは、やられたらやり返すという俺が生きてきた世界と同じです。

俺のように反省する気がない死刑囚もいる中で、ほとんどの死刑囚は日々反省し、被害者の事も真剣に考えていると思います。そういう人達を抵抗出来ないように縛りつけて殺すのは死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないのですか?

俺が執行されたくないのではありませんが、その様な事など考えれば死刑制度は廃止するべきです。

死刑制度は凶悪犯罪の抑止効果、治安維持への寄与が期待出来ない上に、確定までの制度の欠陥が大き過ぎます。

では、制度として改善すれば死刑は存置していいのか?と訊かれれば、それもNOと答えざるを得ません。

死刑制度がもたらすものって結局何なの? という問いに対して、我々は答える術が無いから。

遺族の応報感情への配慮という答えはあまりにも脆弱です。

森達也氏が重ねて発言しているように、

被害者に身寄りが全くない場合、死刑にする意味があるのか?

突き詰めれば、応報感情が根拠にならないのは明らかです。

 

アンケートの回答を踏まえ、非正規ルートで筆者が尾形死刑囚と交わした書面から。

判決を下すにあたり、検事も裁判官も反省の様子が伺えないとか、更生の可能性がないとよく言います。そして、命をもって償うべきだと言います。それは俺にとって、反省する必要も更生する必要もないから死ねと言っているとしか聞こえません。

(中略)

これは俺の事ではなく他の死刑囚の裁判のことですが、その人が裁判の時に頭をかいたらしいのですが、その仕草を見て「全く反省していない」と検事は批判し、新聞でも「はの色がない」などと書いてありました。週に2回しか風呂に入れず、しかもだった15分(体をふいて下着をつけ出てくるまで)の風呂で体じゅうがかゆくなるのに、それすらも批判する奴らの本心がよくわかったので反発という気持ちができ、反省なんかする必要はないと思うようになりました。

人は希望の生き物である。

未来という一番の希望を奪われた死刑囚に、人間らしくあれというのは私に言わせれば無理な話です。

ー死刑制度そのものについて、いまどう考えていますか。

どんな理由があっても人を殺してはいけないとよく聞きましたが(裁判や取り調べの時)、それなら、たとえ殺人を犯したものでも死刑にするのはおかしいのではありませんか。権力者だけが殺人を許されるのは可おかしいと思います。

死刑制度そのものへの疑念と、司法やメディアの問題を混同して申し訳ないのですが、尾形死刑囚の一連の主張には、耳を傾ける必要性を強く感じます。

再犯の可能性が全くない、殺されるのを待つだけの死刑囚が何故反省しないといけないのか?

そもそも反省や更生の可能性が無いと判断されたから死刑になったのではないか?

反論に詰まり、死刑制度の根源的な矛盾に突き当たる度、拘置所の中を想像してみますが、そんな想像は市井人には不可能です。

 

彼らは何を思い、何をよすがに日々を過ごしているのか。

確定死刑囚の声が世間に対して完全に閉ざされている現状はやはりおかしい。

結審した裁判の正当性が再び議論の俎上に上がる混乱や、死刑逃れを狙った悪用を危惧する声は必ずあるでしょう。

それでも死刑制度の再検討という目的と比べれば、事の軽重は明らかだと思うのです。

 

以上  ふにやんま