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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

「つながる脳」藤井直敬 ②新しい脳科学

読書

「つながる脳」藤井直敬(2009) 

つながる脳

つながる脳

 

前回の続きです脳。

脳の社会的機能とは何か?

自分のやりたいことを実現するために、社会という目に見えない構造を上手に操作し、さらにその場の空気にあった正しい振る舞いを選ぶための適応的な脳のはたらき

ちょっと分かりにくいですかね。

これならどうでしょう。

社会的脳機能の驚異的な特徴は、本来ならバラバラな行動選択を行うことが当然な多様性をもつ個体が、同一社会環境下に置かれると、同じルールに従って整然と振る舞うことが可能であるという意味で奇跡なのです。たとえば、放っておけば校庭で勝手に遊び始める子供たちに、「朝礼ですよ」というだけで選択と並んでくれることは、一見当たり前のことに見える社会的脳機能の果たしている奇跡なのです。

脳機能をネットワークレベルで理解する。

脳内の部位(モジュール)機能だけでなく、情報伝達に関する関係性の変化を研究の対象とする。

こう言われると考え方の新しさが見えてきませんか?

脳は、社会や環境の変化に対応して自分自身の構造を書き換えて適応していると考えられます。

もし、そのような脳というネットワークシステムの仕組みを本当に理解したいなら、脳内の多領域間の情報伝達構造がどのように変化していくのかということを追いかけ、それを領域相互の関係性という視点で理解する必要があるはずです。

確かに脳の各部位が、ある特定の課題条件下では特徴的な性質を見せることは本当です。それは、一見その部位に特定のモジュール機能が表現されているように見えます。しかし、それはその特定条件下でのことで、異なる状況下では性質が全く変わることが頻繁に起きるのです。

脳内を流れる情報は、おそらく処理のレベルが高次になればなるほど抽象度が上がり、オリジナルの情報の種類を区別せず、どんな情報だつて抽象情報として流通させることができるはずです。(中略)

ある脳部位とその関連領域の間を流れる情報を追いかけることを通じて、おそらく行動の動機づけであるとか、行動の意思のような仕組みをあぶり出すことができるはずです。つまり、脳機能を理解するのに間違いなく必須で、しかも今までの研究で欠けていたのは、情報の流れのダイナミズムからの視点なのです。

 

直接繋がる訳ではないのですが、生命科学の技術革新にも驚かされます。

最近では生きている生物の遺伝子の機能を外部から操作して、遺伝子発現のスイッチを好きなときに入れたり切ったりできるようになってきました。

これは、簡単に言えば、同じ個体を使って、ある瞬間には正常動物として、また別の瞬間には遺伝子異常をもつ動物として研究観察することが可能であるということを意味します。

そんなことになっていたとは...。いつの間に。

分子生物学は、遺伝子やタンパク質などの実際に計測可能なモノを操作対象とする分野です。この分子生物学が脳を対象として発展を遂げてきたのが昨今の脳科学の特徴と言えるでしょう。そこでの議論はこれまで脳科学で行われていたほとんどトートロジーのような議論と比べて遥かに説得力があります。しかも、遺伝子異常による疾患などとの関連づけも容易に可能ですし、今後の脳科学分子生物学を中心に発展していくのではないかと、僕のような電気生理(電気的情報を通じて生体機能を調べる研究手法)を生業とする研究者は少々ビクビクしていました。

ナノテクノロジー分子生物学を融合させたものが、生命科学の最先端であるということらしいですね。

ただし脳の社会的機能に限って言えば、突き詰めれば最終的にモノには還元出来ないというのが筆者の主張です。

 

二匹のサルの脳に多数の電極を挿入し、神経細胞活動を記録した実験から。

サルたちは自分の中の社会的ルールに照らして、自分より強いと知っているサルが隣にくれば、自分を弱いサルモードに切り替えて振る舞います。そして、自分より弱いサルがやって来たときには、強いサルとして振る舞います。そして、初めて会ったサル同士は、まずはどちらも強いサルとして相対します。

この様子を見ていると、基本的にサルたちは、一人のときは強いサルとして振る舞っていることがわかります。つまり、サルたちのデフォルトのモードは強いサルなのだと僕は思います。

このことは、デフォルトの社会性フリーの強いサル状態から、社会性をもった弱いサルに自分を切り替えるときに新しい機能が必要とされ、逆に自分が強いサルに戻ったときには、その機能を解除することでもとに戻るということを示唆しているように思います。

それでは、強いサルから弱い移行したときに発現される機能とは何でしょうか。それは今回の実験の結果から見えてきた通り、行動の「抑制」であると僕は考えます。

抑制こそが社会性の根本である

たとえば、猿山に行って、ぼんやりサルたちを見ているのは面白いですよね。あっという間に時間がたってしまいます。どうしてだと思いますか。僕は、ヒトにはサルの表現している、非言語的なメッセージを自然に読み取ることができる能力があるからだと思います。

しかし、実験室で僕たちが接しているサルの様子を見ていると、サルが僕たち実験者のしぐさから、深い意味を読み取っているという様子はありません。となると、おそらく僕たちの非言語的コミュニケーションはサルのそれの上位バージョンで、サルに対する下位互換性をもっていないということになるかもしれません。

とするならば、ヒトのもっている社会性を構成する要素のすべてが、サルの中に含まれているとはかぎりません。

所有の話

上位のサルが道具を使っているときはどうかといえば、驚くべきことに、下位のサルが上位のサルの使っている道具を奪うという行為が、サルのペア間の関係性にもよりますが、頻繁に見られたのです。(中略)

普通は道具を使っていない状態の下位サルは、上位のサルのもっているエサや、空間には手を伸ばしません。つまり非常に強い社会的行動抑制が起きています。しかし、道具に関してはルール違反が頻発したのです。(中略)

おそらく、下位のサルからは、上位のサルの腕と、それが使っている道具は別物だと思っているのだと思います。つまり、誰の所有でもない道具が、自分のテリトリーを動いているのであれば、それに手を伸ばさない積極的な理由がありません。(中略)

しかし、その道具が上位のサルの所有であり、それを取ることが上位のサルとの間のルール違反になるということはわからないようでした。

さらに、このようなルール違反は、道具だけに起きるわけではありませんでした。下位のサルは、上位のサルが道具を使って自分に引き寄せている途中のエサにも平気で手を伸ばしたのです。

「サルには所有の概念がない」と見るのではなく、脳の認知機能として「身体性の拡張」がどこまで見られるか、と置き換えるべきですね。

どこが脳科学の話なんだ?と思われるかたもおられるでしょうが、ヒトとサルの「認知における脳の傾向差」を知る事は、サルからヒトへの進化のプロセスを、生物学的に考証する上で非常に有効な材料になる訳です。多分。

上の事例に興味を感じない方、知的好奇心をそそられない方は無理して読まないほうがいいと思います。人間、好き嫌いに逆らっちゃいけません。

でも、そうでない方にはたまらんと思いますよ。

他にもまさに今流行りのVRをテーマにした第4章「仮想空間とヒト」

「操作脳科学」とでも言うべき、脳と外部の接続をテーマにした第5章「ブレイン・マシン・インターフェイスなど、本書は興奮する要素に満ちています。

(第4章より)

ヒトが多様なのは当たり前です。(中略)本来、脳の成り立ちから多様であるヒトを、多様でない生き物にしたのが、社会という構造です。Homo Confuto としてのヒトは、我慢を覚えた、つまり社会性を手に入れることで多様性を犠牲にして、集団としての効率を手にしたのです。

そんな脳が、適切な条件を設定してやれば仮想空間を現実空間と区別なく扱えるようになるのは当たり前です。もともとあらゆるものを自由に関連づけて独自の世界を作り上げた私たちが、仮想世界と現実世界を自由に行き来できないわけはありません。そう思いませんか?

(第5章より)

ヒトに特有の高次認知機能の仕組みを理解するには、脳内の情報を操作できるようにする技術が必要なのです。おそらく、その技術を手に入れないかぎり、次の50年間も脳科学が今のようにファンタジーのままで置かれる可能性が高いと思うのです。

 なんだか読書メモみたいになってしまいました脳。

 以上 ふにやんま