ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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豊田泰光氏はやはり小粋だつた

 

過去エントリでも触れましたが、豊田泰光氏について再び。出所はいずれも冒頭の週刊ベースボールです。

石田雄太の閃球眼』第633回

「コラムニスト豊田泰光

豊田さんについて鮮烈な記憶として残っているのは、東海テレビ(フジテレビ)の『プロ野球ニュース」だ。イチローがメジャーへ移籍し、長嶋茂雄が巨人の監督を退任した2001年....日韓ワールドカップの前年でもあったのだが、この年、フジテレビはプロ野球ニュースを地上波から撤退させた。豊田さんはそのことに猛烈に反対し、コラムでも盛んに取り上げていた。やがてテレビ局は巨人戦の中継でさえも地上波から撤退させることになり、プロ野球は国民的スポーツから野球好きだけのものへと変貌してしまう。豊田さんは誰よりも早く、今、そこにある危機に気づいていた。

そんな豊田さんからこんな言葉をかけられたことがある。

「アンタはプレーオフに賛成なんでしょ。オレはね、絶対に反対。いいじゃない、そうやって違う意見が同じ雑誌に載るというのは.....」

マスコミの本質を、キチンと理解出来ているかたであったことが伺えます。

選手としての経験を生かしながら、評論家としての立ち位置を確立した数少ない野球人、豊田さんは、その証として競技者表彰ではなく、特別表彰を受けて殿堂入りを果たしている。

石田さん、ありがとう。

やはり分かる人には分かるんですね。

「コラムニスト豊田泰光

最高のタイトルです。

 

もういっちょ。

綱島理友のサブカルノート  ベースボール百科』第125回

「名選手にして、名デザイナー

故・豊田泰光さんのこだわり」

この連載、古今東西のユニフォームについて、イワヰマサタカ氏のカラーイラスト付きで語るというかなり変わった内容で好きなのですが、ここにも豊田泰光氏のエピソードが。

引退した選手にインタビューを申し込むと、なんだユニフォームの話かい!ということでガッカリされることが多いという話を受けて。

しかし中には変わった人もいる。

どの口が言うのか?というのは置いときて。

「実はユニフォームについて語りたかったんだ」という感じで、饒舌に語ってくれたOB選手の方も何人かいた。

その1人が故・豊田泰光さんだ。

西鉄ライオンズに入団したのが1953年。豊田さんの話は、このときに着せられたユニフォームが大嫌いだったんだ、というところから始まった。この年から、ライオンズはブルーのダブルピンストライプのユニフォームを採用していた。

しかし今、見てもとてもスマートで、けっして格好悪いユニフォームではないのだが、豊田さんは気に入らなかった。

「ストライプは選手の体を貧弱に見せるんだ。当時の私は高校出たてで、ヒョロヒョロだったから様にならない。しかも帽子についていたNのマークが格好悪いんだ。これが貧相でね。選手の頭を小さく見せる」

そこで当時の三原脩監督に直談判して始めたのが、帽子マークの改定作業だった。

博多の街はうるさくてね。チームが負けた日に外で飲んでいたりすると無茶苦茶言われるんだ。でしょうがないから合宿所の旅館の部屋にこもって、西鉄のNとライオンズLの文字を紙から切り取って、いろいろ組み合わせて試行錯誤を繰り返した。水戸商業でデザインも習っていたんね、そういう素地はあったんだな。それである日、ニューヨーク・ヤンキースのマークのような境地にたどり着いたデザインが出来上がったんだ」

それが西鉄ライオンズ黄金時代の帽子を飾ったNLマークだった。

選手が自らチームの帽子マークをデザインしたという話は、これが初めてだつたし、そしてその後も聞いたことがない。(中略)

名選手にして、名デザイナーだった豊田さん。ご冥福をお祈りしたい。

綱島さんもナイス。

あなたが書かねば、埋もれていたに違いないエピソードです。

ブロってのはね、カッコよくなければならないんだよ。

豊田氏の信条は高卒1年目から発動していた訳ですね。

自分の体じゃなくて、ユニフォームのせいにするところが我の強いやんちゃなスターだった、豊田泰光氏の本領発揮。

長嶋茂雄氏、野村克也氏、古田敦氏などユニフォームへのこだわりが強いことで知られる往時の名選手は複数いますが、アイデアフラッシュを用意させるのではなく、自分でデザインしてしまうというのも確かに前代未聞の話でしょう。

洒脱にして小粋。

晩年の豊田氏のコラムを思わせるユニフォームの小ネタでした。

以上  ふにやんま