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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『父の詫び状』向田邦子

『父の詫び状』向田邦子(1978) 

父の詫び状 (文春文庫 む 1-1)

父の詫び状 (文春文庫 む 1-1)

 

名エッセイ集を久し振りに再読。

著者については、山本夏彦が端的に言い尽くしています。

向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である

素晴らしい。私ごときが付け加える事は何もありません。でも書いちゃう。

敬愛する山口瞳先生曰く、

向田邦子は、あきらかに、私より上手だった

ちなみに「向田邦子 山口瞳」で検索すると、直木賞選考から向田氏急逝に至るまでの、二人の浅からぬ縁(えにし)を伺わせる逸話がたくさん出てきます。以上余談。

ブログを始めてから、あらためて『父の詫び状』を拝読(ナチュラルに敬語)してみて、その上手さに驚愕しました。自分でも文章を続けて書いてみて、初めて分かることがありますね。全然続いていない? ミジンコ泡沫ブロガーの癖に生意気だ? いけず言わんといてっ。

文章の正確さと読みやすさは勿論ですが、とにかく起承転結の「転」が上手い。圧倒的な上手さです。冒頭、本線、終盤、結びと、現在/過去のエピソードが次々に繰り出されます。

おいおい、どこ行くねん!

急に話を変えるなよ!

バラバラのピースのようでありながら、最後にはクルリと一回転して全てを回収してみせる。その構成の巧みさ。

ポケモンGOで言うならば、ピカチュウの前回りをイメージして頂けると、クルリ度合い分かり易いかと(分かりにくいって)。あのぐらいトリッキー。ほとんど魔法。釣られてモンスターボールを投げてしまう自分が、どうしても止められない。フェイントだと分かっているのに! 輪っかが出ていないのに!

・・・何の話でしたっけ?

表題作『父の詫び状』書き出しはこうです。

つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。

頂き物の生きた伊勢海老を、長くない命だからと自由に遊ばせておいたと。時間軸は「現在」

玄関には海老の匂いとよだれのようなしみが残った。香を焚き、海老一匹料(りょう)れなくてどうする、だからドラマの中でも人を殺すことが出来ないのだぞと自分を叱りながら、四ツン這いになって三和土を洗っていた。

ブログを書かれるかたには分かって頂きやすいと思うのですが、先の書き出しからここまでわずか4ページ半。そこに3つものエピソードを盛り込んで、煩わしさや読みにくさを微塵も感じさせない。文章における練熟とはこういうことかと、冒頭だけで唸ります。

で、急に「転」が入るんですね。前置き一切なし。時間軸はいきなり「過去」へ。

子供の頃、玄関先で父に叱られたことがある。

なんだ玄関繋がりかよ、単純な前フリだな、と思わせておいて(思わないか)

◎客人の数を訊いて叱られる⇒靴

◎靴の揃え方⇒父とその生い立ち

◎父、酔って靴を片方失くす⇒酒

◎仙台のドブロク⇒自宅の酔客

◎酔客の嘔吐⇒玄関、三和土

それぞれのエピソードがしっかりと繫がっている上に、最後にクルリと冒頭へ返ってきます。

結びは表題の『父の詫び状』で。詫び状の中身にはここでは触れませんが。

エピソードは、前後に繋がっているだけではありません。最後に全体が収斂されて、「父の詫び状」の味わいをクッキリと浮かび上がらせる。それぞれが意味あるサイドストーリーとして配置されているんですね。上質なオムニバス小説のような構造とでも言いましょうか。それを15ページ弱のエッセイの中でやってのける。凄い技巧です。

この密度で丸々一冊、向田家の来し方が語られるとどうなるか。

向田家について知らない事は何も無い!

もはや向田家の一員だ!

読了後はそんな感じになる訳です。

邦子氏自身を含めた向田家の中でも、父母は時に冷徹なまでにその内面を描かれますが、故にことさら愛おしく思われます。

技巧に支えられた高い情感。

本書が名エッセイたる所以です。

なお本書は「ドラマ脚本家」向田邦子にとって、「作家」としてのデビュー作にあたります。ぎゃふん。

デビュー作でこの完成度ですから、選考委員もメジャーでイチローを新人賞に選ぶような違和感があったのでしょう。上手すぎるという理由で直木賞を逃がしかけただけの事はあります。

最後に引用を。

父にない豊かさと明るさが、母のまわりにはあった。父はそれを愛したに違いないが、同時に嫉しさもあったのだろう。母や、母の実家をそしる時、鼻の形を口にすることがあった。私は、父のこういうところが大嫌いだった。

名人の観察眼、批評眼の鋭さと、好悪がはっきりした性格がよく出ています。最後の一文など、山口瞳氏にそっくりで胸を衝かれました。

以上  ふにやんま