ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『不機嫌な作詞家』阿久悠日記を読む

『不機嫌な作詞家〜阿久悠日記を読む〜』三田完(2016)

不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

 

作詞家って不思議な商売ですよね。すごく身近なところに作品が出回っているのに、自分が表舞台に出ることはほとんど無い。歌ってやっぱり歌い手のもの。それを承知の上での作詞家稼業。謎めいております。 

松本隆氏が好きで過去エントリもいくつか。サッポロビールのCMでお姿を拝見しますが、なかなかオトナの雰囲気があって良い。阿木燿子氏も好き。

 


で、阿久悠氏。作詞家として気になるというよりも、ヒトとして気になる存在でした。屈折のしかたというか、感情の吐き出し方に独特のものがあって、発言やエピソードに妙に忘れがたいものがある。

一番印象に残っているのは夏の高校野球の話。阿久悠氏は大の高校野球好きで、夏の甲子園が始まると日中は一切仕事をしない。開会式が終わって第一試合の1球目から、決勝戦の最後の1球まで全部TVに齧りついて観るのが毎年の習慣だったそうで。氏のコアな部分に触れた、象徴的なエピソードだと思います。

「甲子園の詩」の連載があるから、仕事じゃないか!

と言われそうですが、氏は仕事の為なんかじゃないと断言していました。八歳で玉音放送を聴いた自分にとって、高校野球というのは特別なものなんだと。

野球 は人間としての阿久悠を紐解く際に、大事なキーワードになるはずなのですが。三田氏はあまり野球に興味が無いようで、本書ではちびっとしか触れられていなくて残念。

瀬戸内少年野球団』の執筆中、阿久さんはある週刊誌のインタビューで、「実は息子に、なぜ野球にあれほど熱中するの?って聞かれても、一口には云えない。僕らにとっての野球は宗教だったと云ってもいい。そんな僕ら世代のメッセージのつもりで書いたんです」

敗戦からの三年間こそは、庶民や子供たちがお仕着せの価値観ではなくみずからの意思で価値観を見つけうる活力に充ちた時代だったーーーそんな思いが阿久さんにはある。だからこそ、大人たちのセンチメントではなく、少年の視線で時代を描く手法を選んだ。小説の常道をなぞらなかったのは、美空ひばりや古賀政夫に代表される怨みや自虐に充ちた流行り歌の王道をたどらず、ひたすら胸を叩くような詩をめざしたのと似た流儀である。

後者、いいですね。瀬戸内少年野球団への評としてはとてもいい。

『瀬戸内』は結局直木賞を逃がし、阿久氏を大いに悔しがらせますが、既に他の業界で名をなした人には取りにくい賞ですので(決めつけ)。かの向田邦子氏ですら、落選寸前からの逆転受賞ですから。ちなみに選考委員で『瀬戸内』についてノーコメントを貫いたのは水上勉松本清張今日出海五木寛之の4人。いかにもといった重鎮揃いです。そりゃ、この面子じゃ選んでくれないわ。

音楽的な面よりも、どうしても阿久悠氏の人間的な面白みに触れた部分に目がいきます。

なぜ『スター誕生!』の審査員席で阿久さんはあんなに険しい顔をしていたのか、後年、尋ねてみたことがある。

「番組をはじめるとき、決意したんだよーーー出場者の前で笑顔を見せるのはやめようと。これからプロをめざすひとたちなんだから、子供扱いしちゃいけない。大人に対するのと同じような感想をいわないと失礼だと」 

NHK『課外授業 ようこそ先輩』 の撮影で淡路島の母校を訪ねた際も。

第一日目の朝、小学校へ向かうべくホテルのロビーにあらわれた阿久さんはグレイのスーツにネクタイの正装だった。表は三十度の暑さである。もうすこしラフな服装を勧めた私に、阿久さんは毅然と応えた。

「小学生相手だからといって、手を抜いた服装をするわけにはいかない。あの先生はきちんとネクタイを締めて授業をしてくれたという記憶を、子供たちに残さないと」

生硬、というのでしょうか。中途半端なことを許さない気質が実に阿久氏らしい。戦中派最後の世代として、なかなかに生きにくい生涯だったのかなと思います。

「おれ、友達いないひとなんだよね」

作詞をはじめた当座、とあるレコーディングデイレクターから「きみの詞は売れないよ、哀しくないもの」といわれたのと同様である。(中略)だが、阿久さんはあくまで「お約束」を嫌った。

妥協が苦手。素直じゃない。鬱屈を抱えている。ストレートな感情表現が出来ない。

私の好きな山口瞳氏や中島らも氏にも、同じような気質を感じます。ストライクゾーンなんですね。また、ややこしいところがストライクゾーンだと我ながら苦笑。

公之が幼いころから阿久悠として大成するまで、饒舌に語り合うことはついぞなかった父子だった。しかし、息子がヒット作を出し、賞をもらうようになってから、ただ一言、現役時代を平巡査でまっとうした父はポツリと息子に語った。

ーーーおまえの歌は品がいいね。

阿久さんはその言葉を、どんな賞にもまさる勲章として励みにし、詞を書きつづけた。

父をモデルにした小説『無冠の父』まで書き上げた阿久氏ですから、父の讃辞を励みに、というのはあながち的外れではないでしょう。

おまえの歌は品がいい

これを阿久氏がどう解釈していたかは、今となっては知る由もありませんが。

興味深いエピソードを一つ。ヒットメーカーとしての全盛期を山口百恵と共に迎えた阿久悠氏ですが、阿久悠氏から歌詞が提供された山口百恵の楽曲は1曲もありません。ホリプロ創業者の堀威夫氏曰く。

桜田淳子をずっと阿久さんがやっていたので、百恵さんのデビュー曲(『としごろ』)の詞は千家和也氏に依頼した。デビュー曲は思ったほど売れなかったが、次の『青い果実』が当たり、『ひと夏の経験』へとキワモノ路線がつづいた。阿久さんはキワモノが好きじゃないから・・・と説明が続いた。

ですが、阿久氏は山口百恵の一連の楽曲と彼女自身を、決してキワモノとして軽んじていた訳ではなかったと。

まことに不明を恥じるのだが、彼女が、歌のうまい森昌子や、天使の微笑の桜田淳子を超えることなどあるまいと思っていたのである。

しかし、「ひと夏の経験」を聴いた時には、その思いを修正しなければならないと実感したのである(略)

一つ間違うとアブナ絵になりそうだが、山口百恵は、アブナ絵と感じさせる哀願の微笑と媚の健気さを拒んで、あくまでも無表情で、凄みさえ漂わせていた。

山口百恵の開花は、その二年後の「横須賀ストーリー」からだというのが定説であるが、実はこの「ひと夏の経験」に既にその兆しはあったように思う。

のちに大人たちが逆上し、信仰に近い存在まで彼女を高い存在に押し上げ、「時代と寝た女」とか「菩薩」と呼ぶようになるのだが、けはいだけならその時にあった。透明な妖気である。---『愛すべき名歌たち』より

実は、中島みゆき阿久悠という新路線のプランまで出来上がっていた矢先に、山口百恵は引退してしまうのですが、これも “IF” の楽しみをかきたててくれます。

なお、本書30頁

1、美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。

 から始まる氏の「作詞家憲法十五か条」は必見。

13、歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、 一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。

一周の遊園地!

なかなか出る表現じゃないですね。さすが阿久悠氏と、感じ入りました。

以上 ふにやんま