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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

『追いかけるな』大人の流儀⑤ 伊集院静

 

追いかけるな 大人の流儀5

追いかけるな 大人の流儀5

 

ここ数カ月、電車やバスの中で席を譲られることが立て続けにありました。

白髪のうえ、頭がかなり薄いので、若い人には結構な高齢者に見えるのでしょうねえ。いずれも誠実そうな学生さんでした。

最近でこそ四の五の言わずに「ありがとうございます」と素直に座ることにしていますが、さすがに一番最初はショックで。耳を疑いましたね。

え? オレ? マジかよ?

僕はキミが想像しているよりも、多分ひと回り以上若いと思うよ。

そう伝えたくてたまらん。

悶々としているうちに電車は止まり、学生さんはホームへ降りようとしている。

彼にひとことだけ言いたい。いやダメだ。人の親切はありがたく頂戴するのが大人の男。彼に恥をかかせて何になる。ここは自制しなければ。

追いかけるな!

すいません、どうしてもやりたくて。

伊集院静氏のエッセイ『大人の流儀』シリーズの第五巻。現在、六巻まで刊行されております。遅れてますな私。

好き嫌いがはっきり分かれる作家ですが、私は好きです。でも、文章が誤解を招きやすいのは認めます。

回転寿司は寿司ではない、と書いたら協会から文句を言われた。"回転寿司こそ鮨の極致だ'' という作家を探して書いて貰え、と言った。

マキロイという若者が世界でトップというが、私はこの若者がまだ使えるボールを池に投げたのを見たし、今春、クラブを池に放った。人間がこしらえた道具をこういうふうに扱うバカは何十年経ってもまともな人間になれない。それが世界一というのだからプロゴルフの世界も程度が知れる。

敢えて苦節に身を置かねばならない年齢の若者が、スマホを後生大事に持って、暇があれば覗いている。バカナコトヲ......。

ツイッターフェイスブックも悪いとは言わないが、情報より大切なものが、人間が成長する時期にはあるだろう。

文脈を無視して抜粋すると、いくらでもキナ臭い感じに出来ますね。前後をキチンと読んで貰えれば、なるほど正論だと頷いて頂けると思うのですが。

まあ、このあたりは好みの差でしょうか。求めるものも違うでしょうし。

長く作家をされているかただけに、読者のネガティヴなレビューには類型があります。

◉弟の死、野球での挫折、前妻の病死、その後の荒れた生活と再起。同じネタの繰り返しで、もう聞き飽きた。

『大人の流儀』シリーズも、東日本大震災を契機に始まったもの。人の不幸で商売してばかり。

結構書いていてキツいのですが、半分当たりで半分ハズレ、といったところでしょうか。

『追いかけるな』とは、喪失に会えばその悲しみから容易に抜け出し得ない、人間の心根(こころね)を示した言葉だと思うのです。

追いかけるなと思うこと自体が、どうしても追いかけることをやめられない、ヒトの心の侭(まま)ならさを物語っている。

ヒトはそんなに強くなんかない。でも、そのアンビバレンスこそが人間なのだと。

かつて、私も近しい人を多く亡くしたが、もし私が、その哀しみの中に浸っていたら、私は今こうして文章を書くこともなかったろうと思う。生きることに哀しみがともなわない人生はどこにもない。哀しみに遭遇すると、人は、どうして自分だけが、あの人だけがと考えざるを得ない。しかし哀しみの時間に一人立っていても、そこから抜け出す先は見えない。決して忘れ得ぬことでも、それを追いかける行為は、人を切なくするばかりだ。

作家としてデビューして35年あまり。

愛しい人との別れを経ると、人の心はかくも傷つき、再び前を向くまでに、かくも時間がかかるものなのか。

こと伊集院氏のエッセイに関して言うならば、その魂の変遷を辿れるということだけで意味がある。そしてその魂の変遷こそが、まさに人生そのものだと思うのです。

山本周五郎氏の小説からの孫引き。

苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である。

大層な、前時代的な言葉だと思うでしょう?  私も昔はそう思いました。でも、今はこの言葉の意味が、おぼろげながら分かるようになってきました。

 

おじさん、何だか柄にもない事を語っちゃいました。でも、若いあなたにもきっと分かる日が来ると思うのです。

いつ頃分かるようになるのかって?

そうですね〜、電車で席を譲られる頃かなあ。

以上  ふにやんま