ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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「宝くじで1億円当たった人の末路」鈴木信行

「宝くじで1億円当たった人の末路」鈴木信行(2017)

宝くじで1億円当たった人の末路

宝くじで1億円当たった人の末路

 

タイトルからして、「これは宝くじで1億円当たった人の体験談を集めて、本にしたものに違いない」と思いますよね普通。

全然違います。

殆どの書評が同じことを言っていると思いますが、タイトルは最初の第1章「やらかした人の末路」に収められた三編のうちのひとつにしかかかりません。

本書は7章から成り、全部で23編の「末路」が収められていますので、相当の肩透かし感があります。未読の方はご注意下さい。

後半になると、

「グロい漫画」が好きな人の末路

体が硬い人の末路

リモコン発見器の末路

といった、もはや「末路」って言いたいだけじゃん!という苦しい(苦し過ぎる)テーマがいきなり増えて笑えます。

ただし個々の内容はなかなかキャッチーで、読み応えがあるんですね。インタビュー相手の選定がよい?さすが雑誌人の仕事です。

「宝くじ〜末路」から

瀧   人間の浪費というのは一回始まるとなかなか止まらないものなんですね。普段、2000円の寿司を食べている人が、宝くじが当たって「自分へのご褒美」などといって1万円の寿司を食べたとしましょう。ところが美味しいものを食べた時に出る脳内麻薬は、寿司の金額が5倍になっても、比例して5倍になることはありません。「あれ、おかしいな。じゃあ3万円はどうだろう」と、すぐエスカレートしてしまいます。

1万円のお寿司はきっと美味しくて、それなりの満足は得られるはず。ことの本質は、満足不満足といった文脈ではないと思うんですよね。

タナトス理論じゃないですが、浪費とか放蕩というのは基本的に甘美なもので、中毒性があるはずなんですよ。

3万円のお寿司の次は5万円、その次は板前さんの出張貸切?タガの外れた人間の欲望は、加速度的な拡大の一途を辿るはず。宝くじの賞金が有限である以上、悲惨な「末路」が待ち受けるのは必定かもしれません。

なお、冒頭の瀧というのは、マネー評論家の方のお名前です。以下4つは全て瀧氏の発言。

企業側も「急に資産を築いた人」の財布を開くためのマーケティングは研究し尽くしています。

「成金から毟るのなんてチョロいよなあ」

悔しい。そう言われてみたい気もするところが更に悔しい。

超高級店で買い物をすれば、豪華なパンフレットやインビテーションが届くようになります。行けばVIPルームに通される。この"あなただけ感""エクスクルーシブ感"に堪えられる人は多くないですし、一度味わうとそんな生活を諦めることはより難しくなります。「急な富裕化」というのはそのぐらい危険なこと(以下略)

最近話題の社長さんで、絵がお好きな方いらっしゃるじゃないですか。国際的な美術品のオークションとかって、このエクスクルーシブ感の演出にすごく長けていると思うんですよね。ましてや相場以上の高額で落札したりすると、もう自我拡大欲とか征服欲とかが、パンパンに満たされるのではないかと。門外漢の勝手な想像ですが。

ビジネスの世界では多大な時間と労力を費やさねばならない快感が、オークションなら確実かつ手軽に味わえる。何十億円の出費を重ねてしまうのはそういう事もあるのではないかと。

もちろん絵が大好きなのでしょうけれどもね。

1億円は使い始めると想像以上の速さで減っていってしまう。

晴耕雨読の日々を過ごすのも、起業で第2の人生にトライするのも、それ自体は全く悪いことではない。でもそのためには入念な準備が必要で、宝くじの当選をきっかけに始めることではありません。(中略)でも、人はたとえ少額でも、急に不労所得を得ると冷静ではいられない。身に覚えはありませんか。

あります。アリアリ。

慣れない大金にあたふたするような人間は、宝くじなんか当たらない方が幸せだという事でしょうね。当たっても何十万円くらいが丁度いいのかも。

瀧   宝くじを当てると家族はもちろん、それまで縁遠かった親族までもが直接・間接的に"おすそわけ"を要求してくる。家族の間でも、お金以外の話題が食卓の会話に出なくなる。

確かにそんな家庭は嫌だなあ。親がいつも欲望剥き出しで目をギラギラさせていたら、子供も堪らないでしょうし。

最後に毛色を変えて、「キラキラネームの人の末路」から。

牧野   奇抜な名前を付けようとする親の多くは、ごく普通の人たちです。階層も中流以上で、社会的地位もある大変真面目な人たちがすごく多い。

牧野   私の経験上、彼らには大きな共通項があります。「自分は個性的ではない」「抑圧された環境で没個性的な人生を余儀なくされてきた」という強い無力感、欠乏感を抱えているということです。そうした人たちが親になると、当然子供には「個性的で格好いい人生」「環境に適応するのではなく自分で選んだ人生」を生きてほしいと願います。そんな思いが名付けの段階で暴走してしまう。これが「悪質なキラキラネーム」が生まれる最もありがちな構図です。

世に言う「キラキラネーム」が全て悪いという訳ではないですが、名前というのは子供のアイデンティティの一番根っこのところ。そこで親の代償行為を実践してしまうことの罪深さ。

ちょっとゾーッとしましたね。

本書には色々な末路がありますが、「ワイシャツの下に何を着るか悩む人の末路」がタイトル的には最もツボでした。なんじゃそれ。

以上   ふにやんま