ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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『“東洋の神秘” ザ・グレート・カブキ自伝』

『“東洋の神秘” ザ・グレート・カブキ自伝』(2014)ザ・グレート・カブキ

“東洋の神秘"ザ・グレート・カブキ自伝 (G SPIRITS BOOK)

“東洋の神秘"ザ・グレート・カブキ自伝 (G SPIRITS BOOK)

 

カブキ先輩に期待したいのは、なんといってもSWS時代の裏事情ですね。当時の関係者にとっては、思い出したくない出来事として封印されているのかもしれませんが、世間のニーズに対して情報量が少なすぎます。

あれは一体なんだったのか?

未だわだかまりを持つ昭和プロレスファンは多いはず。その点、力道山時代の日本プロレスから、全日新日インディと日本のプロレス史を網羅したカブキ先輩の証言は多面的で貴重です。

SWSに話を戻すと、大相撲を模してスタートから導入された「部屋別制度」。どう考えてもここに無理がある。

天龍源一郎の「レボリューション」

将軍KYワカマツ率いる「道場・檄」

ジョージ高野の「パライストラ」

全日、新日、フリーランス系と各団体から選手を引き抜いて立ち上げた寄せ集め団体の上に、この面子でまとまる訳がない。

レスラーの基本的なスタンスは「俺が俺が」「俺だけ良ければいい」。その上に社会常識というものが全く欠落していますから、利害が絡むと突拍子もない行動に出て平然としている。まあ、そこが愛すべきところではありますが。

カブキや藤原喜明のように、団体内での自分のポジションをわきまえて立ち回れるレスラーというのは、実はごくごく少数派でしかなく。

旗揚げ戦はタッグトーナメントで、決勝戦は天龍&カブキVS高野兄弟の顔合わせとなり、結果はジョージがジャーマン・スープレックスで源ちゃんをフォールして優勝した。俺は後々のことを考えると、これがマズかったと思う。要は、この試合でジョージを調子に乗らせてしまったのだ。本来なら源ちゃんがきっちりと勝って、団体の内外にエースとしての貫禄を見せつけるべきだったと今更ながら俺は思う。派閥抗争の芽は、早くもこの時期から見え始めていた。

要は天龍源一郎を絶対的なエースとして置かずに、「協調路線」を選んでスタートしたと。SWSの各部屋のエース同士の対決ではどちらが勝つか分からないよ、という方向性を観客に示した訳ですね。

想像ですが、既存の団体から選手を誘う時に、相当調子のいい事を口約束で吹き込んでいて、レスラー間の序列が明確に出来ないままにスタートしてしまったと。これが後々まで禍根を残す結果になったと思われます。

誰が考えても天龍を柱に据えた方が興行的にアピールしやすいに決まっている。ところがそうは回せなかったところに SWSの不幸があったようです。

選手たちはカードに対する不満をマッチメーカーの俺ではなく、田中社長に言いに行く。その文句が田中社長から俺に降りてくるというシステムだ。俺も大変だったが、社長も難儀しただろう。

本来ならば、トップに源ちゃんがいて、その下くらいにジョージや谷津がいるという構図が一番ハマっていたと思う。ところが、ワカマツや荒川が後ろからジョージや谷津に「おまえらはトップを取らなきゃいけない」らと焚き付ける。しかし、いざトップでやらせようとするとビビってしまうのだからどうにもならない。

ちなみにカブキ先輩の荒川評は最悪です。ワカマツの田中社長へのゴマすりよりも、荒川の裏での立ち回りのほうが悪質だった、あの天龍ですら荒川にはボヤいていた、とボロカス。

その後 SWSは一億円を投じてのWWF提携、東京ドーム公演、アポロ菅原vs.鈴木みのる事件(カブキ先輩の証言では、巷間に伝わる「鈴木みのるがアポロにシュートを仕掛けた」が真実ではないと。是非本書でご確認ください)、北尾光司vs.ジョンテンタ「八百長野郎」事件(ここでも荒川がいらん暗躍をしたそう。忙しいな荒川)などを経て、本格的な内部崩壊に向かいます。

SWSの一部の選手は観客がエキサイトするような試合をしていなかったし、とにかく自分たちが美味い汁をすすることしか考えていなかった。そんなことを見抜けない田中社長ではない。

カブキ先輩によると田中社長はメガネスーパーの創業社長だけに元々クレバーな人で、レスラー間の内紛がジェラシーに基づくものだと、この頃には見抜いていたと。でも厳しくは対処できない。タニマチだもん。

1991年7月に田中さんは社長職を降りて SWSのオーナーとなり、源ちゃんが新社長に就任したが、これに反発して檄やパライストラの連中は完全に北を向いてしまった。

「北を向く」というのは「そっぽを向く」「反発する」という意味の隠語です。この時期に天龍は盟友・阿修羅原をSWSで現役復帰させますが、それすらパライストラや檄のメンバーは反対したと。「自分たちの取り分が少なくなる」「龍原砲ばかりが目立つようになる」。団体の事、興行の事を何にも考えない奴ばかりだと、カブキ先輩はここでも怒り心頭に。

この時点ではまだ最終的な決定権はオーナーの田中社長にあったので、天龍を跳び越してご注進に伺う者が後を絶たなかったとか。1990年10月の旗揚げから1年半、田中社長が再度動きます。

4月になると SWSの契約更改が行われた。この時、オーナーの田中さんの厳命で源ちゃんに契約内容の権限が委ねられた。金額を全て社長の源ちゃんが決め、田中さんには「言うことを聞かない人間がいたら首を切っても構わない」と告げられたと言う。(中略)結局、この時点では全員が契約を更改した(後略)

田中社長がようやく、天龍を実質的なトップにした新体制に舵を切ったというところ。

天龍への権限集約を明確にする為、カブキ先輩は自らマッチメーカーを降り(石川敬士鶴見五郎の合議に移行。この二人の組むカードはすごく駄目そう)、レボリューションを抜け、団体内フリーとして外人メンバーと行動を共にするように。そこまでしても崩壊への流れは変わりません。

92年5月、谷津嘉章が天龍体制への反発から選手会長の辞任と、SWS退団を発表します。

実はこの会見の前に、谷津一派は田中さんの自宅に押しかけている。彼らは「天龍とはもうやっていけないから、独立したい。そのために金を出してくれ」と要求したという。田中さんは「もう一度天龍さんと話をしてくれ」と言い渡したそうだが、両者の間で結論がまとまらないうちに谷津が独断で会見を行ったのだ。

谷津もなんちゅう言い草かと思いますが。SWSを一緒になって盛り上げていこうという気持ちがカケラも見られないレスラー達に、さすがに愛想を尽かしたのか、田中社長は遂に各部屋を独立させることを決断。それでも新会社が軌道に乗るまでの資金援助を約束してくれたそうですから、田中社長の面倒見の良さ、度量の大きさにはつくづく感服します。ターザンに散々攻撃されていたけれど、もっと再評価されていいはず田中社長。

その後に生まれた天龍のWARには深く関わることなく、カブキ先輩はメジャーとインディを渡り歩き、ちゃんこと焼き鳥のお店のオープンまで至ります。

折しも谷津嘉章回顧録が11月(2019年)に上梓され、 SWS時代にも再び注目が集まりそうな気配も。カブキ先輩には、忘れられがちな昭和プロレス史の貴重な証言者として、是非ともお元気で発信を続けて欲しいと願っております。

 で、結局なんだったのかSWS。

以上  ふにやんま 。